No.4 特大号/小川先生のこと Sept.23th.1997

BIGCAT NEWSは獸木野生が、友人・知人向けに発行している不定期近況報告ニュースレターです。
著作権上、転載や引用はできませんのでご注意ください。


みなさんお元気でお過ごしですか?
9月15日に締め切りを終え、10月20日まで楽しいシナリオ作業に入ってうかれている獸木野生でございます。
「9月25日までいないけど、獸木殿泣かないでね。」と、言い残して日本の知人ウキウキモンキーさんが、その友だちのシナチックンと共に、20日、グァムに旅立ってゆきました(そういえばなぜかウキウキモンキーさんのメールは「ござる」言葉)。
ふたりの出発寸前に、わたしがコンピュータトラブルでファックスを送ったり送ってもらったりしていたので、一言行ってらっしゃいを言おうと19日の晩に、旅行前夜でシナチックンも泊まっているというウキウキモンキーさんちに電話しました。
前にも書きました通り、わたしはふたりとは年中メール交信してて、ふたりの会社でいっしょに働いているような錯覚がするほどですが(会社があまりに忙しくて社員みんながアブナイ精神状態になってるときなど、その状態がありありと感じられるようなメールが来る・・・)、生の声を聞くのは久しぶりだったので、お互いちょっと興奮しましたね。
やっぱりメールと電話では違うんですねえ。

このふたりは来年のゴールデンウイークにオーストラリアに遊びに来てくれることになったので、これも楽しみです。わたしはビザの条件で4月前後から1カ月は日本に滞在しなければならないので、3月おわりに日本に行って、ふたりの訪問に合わせて帰ってくることになりそうです(その間お時間のある方は遊んでね)。お正月には、なんと両親も来てくれますねえ。母が外国旅行苦手のため両親はなかなか来ないだろうと思っていたので、これは吉報でした。

近況/
さて、ウキウキモンキーさんたちがグァムに旅だった20日、わたしも田舎のガーデンパーティに泊まりがけでお呼ばれして、アリスンとタスクと共に行ってきました。
行く前、招待状の「持ってくると便利なもの」の中に「登山靴」とか「食器」とか「椅子」とか書いてあって、アリスンが「寝袋持って行った方がいいわよ。」とか言うので、いやがうえにもわたしたちの期待は高まったのでした。
パーティの主催者はエイドリアン(わたしたちががこっちにきて一カ月泊めてもらった家の持ち主)の友達の画家ジェイ(彼女は本名がきらいで、イニシャルのJを呼び名に使っている)とフランス移民のジョエルで、彼女達がメルボルンから3時間くらいの田舎に買った新しいうちで行われました。
彼女達はまだその家に住んでなく、家具もほとんど入っていないので、寝袋とかが必要だったんですね。登山靴は、近くの森を散策するためのものでした。

牧歌的な風景の中にある家には小さな牧草地と、大きな木のたくさんある公園のような庭と、小さなクリーク(狭い小川の流れる谷)がついていて、子牛の団体を呼び寄せて(ジェイたちのとなりのうちの牛ですが、犬じゃないのに口笛を吹いてみたら広い牧草地にばらばらになってたのが全部集まってきた)草をやったり、体が真っ赤で翼が青い、ロゼリアというオウムが飛びかう森を歩いたり、みんなで牧草地のたき火をかこんで星をながめたり(星の量はものすごかったですね。天の川を久々に見ました)、月が出るのを待って望遠鏡でクレーターを見たりしてのんびりすごしました。
みんな食べ物を持ち寄るというので、わたしは大きいコンテナいっぱいの野菜のマリネと、くるみとフェタチーズのパテ、でかい鍋いっぱいの豆のチリなんかを作って、パンとか果物もごっそり持っていったのですが、お客さんが20人ぐらいいたので、食べ物はみるみるうちになくなりました。チリがいちばんよく売れましたね。

帰りには、ジェイたちのうちから1時間ほどメルボルン方面に戻ったロビンのうちに寄りました。ロビンはエイドリアンの高校の時の先生で(担任とかではなかったことが最近判明し、アリスンとわたしはエイドリアンのわけのわからない顔の広さに改めて驚きあきれたのですが)、職場がメルボルンのためエイドリアンんちの庭にキャビン(キャンピングカーの住居部分)を置かせてもらって、ウィークデーはそこに住んでいるのです。
ロビンの本当の家は山の斜面にあって、ジェイたちのとこよりもっと深い、巨大シダの茂るジャングルのようなクリークがあります。
旦那さんのピーターが、自分の作った本棚の裏の秘密の部屋(ピーターは手先がすごく器用)とか、クリークを案内してくれながら、山の斜面のタイヤ大の穴をさして、「あれはウォンバットの穴だよ。(要するに自分ちの庭にウォンバットが住んでいる)」と言ったのにはびっくりでした。アプローチの柵には白くてでかいコッカブラ(たぶんカワセミの仲間)がとまっていたり、何だか自分の目を疑いたくなるような世界です。
都市のメルボルンでさえ、ときどきふらっとシティに出ると、ロイヤルパレードでいきなりラマとか牛とか犬とかの大行進に遭遇したりしてびっくりしますが、そこから2時間で庭にウォンバットですから、アウトバックとかに行ったらどうなってしまうのでしょう?
もう文明には戻れないかもしれませんねえ。

お、前の文章から1日たってしまいました。きょうは24日です。
あしたはウキウキモンキーさん達が帰ってくるので、早く書き上げて送りたいと思います。
わたしはパーティから帰ってきたあとの3日間、ずっと庭仕事をしていて、体は筋肉痛、手にはマメ状態です。うちの庭は標準の大きさですが、東京だったら小さい家が建つくらいの広さで芝生(本当の芝草でなく雑草を狩り込むのが普通)以外ほぼ何も植わってなく、ここを植物でうめるのは、土のないところからやってきたわたしには重労働です。
自分の初期の漫画の中で、某キャラクターが投げて壁につきさしていた農作業用の巨大フォークを買って、それで土を掘り起こすところからはじめなければなりません。
日がな格闘していると、隣のドロシー(そういえばこないだ87になった彼女も、アリスンやわたしと同じく獅子座)があらわれて、「こりゃあ男手が必要よねえ」とか言ってひとしきり話し込んだ後、「じゃあまた雑草とふたりきりにしてあげるわ。」と言って去って行きます。

ローカルじゃない話題/
さて、今回はローカルじゃない話題でしめくくりたいと思います。
ご存知の方も多いと思いますが、幸せなことにわたしには恩師とあがめる先生がふたりいます。中学の時の美術の先生の古川先生と、中学卒業後1年通った千代田学院漫画科で教えてくださった小川先生です(そういえばなぜかどちらも川のつく名前)。卒業後は、両先生方とは主に年賀状やその他のハガキなどでお付き合いいただいていて、この間たまたま小川先生のハガキの一通に、別のものを探しているときにふと目がとまりました。句読点の「。」の部分が全部星印で書いてあるこんなハガキです。

「お便りありがとう。
シャリバリ展(漫画集団のお仲間と毎年やってらした展覧会だったと思います)は風邪を引いて一夜漬けの作品でしたが、オープニングの22日は、いろんな人が来て、大盛況、楽しく賑やかでした、ぜひみんなに一緒に楽しんでもらいたかったなあ。
今度はぜひオープニングのパーティに来て下さい。
お元気のようで安心しました、
一人だと、なかなか、むづかしい事も多いでしょうが、うまくやって下さい。
腕さえあればきっとチャンスは来ます、
洗足池の桜も、3月末には咲くでしょう、
また、みんなで遊びに来てください。
老人は虫と同じで温かくなると元気が出てきます、ガンバリましょう。
                             哲男」

お察しの通り、これはわたしの投稿時代というか習作時代にいただいた、励ましのおハガキです。千代田の漫画のコースは一年しかなかったので、わたしは卒業してからずっと独習していたのですが、何しろ自分の投稿するジャンルさえ見つからない上、生涯最大のスランプのまっただなか(わたしはそれ以来、なにかを書かなければならないのに話やアイデアが浮かばないという経験は1回もないのですが((そんなに多作してないから当然といえば当然))、そのときはそういう状態で、仕方なく絵のみの勉強を何年もしていました)で、途方にくれていたのでした。
それであるとき千代田に出掛けて、卒業後年賀状でしかお付き合いのなかった先生に、たとえばもう一度別の学校に行くとか、何か一人でやるよりましな勉強方法はないかとか、そんなことを相談したのでした。
先生は学校のこととかを人に聞いて調べて(漫画の学校はほとんどなく、結局どこも同じ感じで、あまり助けにはならないという結論だったのですが)、いろいろアドバイスしてくださっただけでなく、同窓生(もこのニュースレターを読んでいる。小川先生はいい人だったよね!)といっしょにおうちに招いて雑談してくださったり、展覧会に呼んでくださったりして、漫画家になる、ということで頭がいっぱいになって思い詰めているわたしの気持ちをときほぐそうとしてくれたのでした。
ハガキはそのころのものです。

それから何年もして、わたしが結婚して離婚して漫画家になり、最初の単行本を先生にお送りしたときに奥様からお電話をいただき、先生が入院なさっていることを知りました。すぐに同窓生に連絡を取り、いついつお見舞いに伺おうと決めた矢先、先生は亡くなったのでした。
わたしたち同窓生にとって先生の死と同じくらいショックだったのは、その死をラジオのニュースで知ったことです。わたしたちは全員、先生と知りあってから10年近く、先生がたいへん有名な漫画家であることをまったく知らなかったのでした。
ばかな話ですが、人間というのは、たとえお人柄を尊敬し、漫画協会とかで重要な肩書きをお持ちと知っていても、自分たちのそばにいつもいて、気さくに話してくださり、親切で、飾らない人物が、漫画界のパイオニアのひとりで、業界内で多大な尊敬を集めていらっしゃるような、いわゆる「偉い人」とは、なかなか気付かないものなのでした。「影響されて、同じ絵しか描けなくなると困るから」と言って、学校在籍中はご自分の描いたものもお見せにならなかったので、わたしたちは先生の絵すら、卒業するまで知りませんでした。
わたしたちは非常に恥じ入るとともに、ご自分の立場を鼻にかけるどころか気付かせもしないような、人間らしい温かい態度で常にわたしたちに接していらした先生の、ご人徳のすごさに改めて驚愕したのでした。

さらにお葬式の後、先生の追悼画集が送られてきて、いろんな方が先生の思い出をつづってらっしゃるのを読んで、先生がわたしにしてくださったような親身な応援を、それこそもうあちこちでなさっていたことを知りました。わたしもあれから10年以上漫画家でいたわけですが、いまだに自分のことで手いっぱいで後輩の面倒を見るどころではないので、その懐の深さに、今でも頭がくらくらするほどです。
またどなたかが、小川先生の忘れられない一言として、「ちゃんとしたものを描いていれば、売れないということは恥ではないよ。漫画家が一番恥ずかしいのは、つまらん作品を描くことだよ。そして、それを喜んで使う奴だよ。」という言を書いていました。
すごいですねえ。
仮にそんなことを言う発行人とかがいたら、わたしはただ働きしてもいいと思ってしまいますが、たとえ漫画家の口からでも、そんなせりふを聞いたことはありません。
超大物ですねえ。そんな人に教えていただいていたんですねえ。

わたしは今でも小川先生のことを思い出すと、胸がいっぱいになって、泣けて泣けてしかたがありません。
わたしの生意気な人生の中でも、特に生意気だった10代後半、先生の偉大さの半分も知らず、年齢だってずっと離れた(小川先生とわたしは干支が同じですが、「くやしいから何まわり上かは言わないよ」とおっしゃって歳をかくしていらしたので((かわいい))、わたしは今でも年齢差をよく把握していません。しかし追悼集に、石ノ森正太郎さんが「大先輩」と書いていらしたり、ご自身もお亡くなりになった手塚治虫先生が「かけ出し漫画家のぼくは、東京の有名作家に会えると思っていそいそ出かけました。」とお書きになっているところからしても、間違いなく大先輩の大先輩くらいの開きがあります)、どこの誰でもないわたしを、まるでそれらすべてを一切気にかけていないかのように、そしてご自分が「偉い人」であることも全然忘れているかのように、一人前に扱って、いっしょうけんめい助けてくださり、先生はしかも同じことをみんなにしていらしたのです。
いったいどんなふうにしてそんな善人がこの世に出現するのか、宇宙はまだまだ謎です。
また先生はわたしが漫画のことで、本当に思い余って助けを求めたただ一人の人間で、わたしが期待していた何百倍もの誠意で、それにこたえてくださったのでした。

つくづく思うのは、徳のある人に出会ったり、徳のある行いや、人のやさしさに触れることは、何よりの財産というか、幸運ではないかということです。
わたしが見ようによってはおどろおどろしいとも言える漫画界のようなところで、個人的にも綱渡りのような生活をしながら、特にぐれる(作家がぐれるというのはどういう状態かはちょっと不明)ことなく創作に専念しつづけられるのも、正義の味方の具現化ような母や祖母を見て育ち、尊敬できる友達に何人も出会い、先生のような崇高な人格や行いに接し、外国に住む今も、当然のように他人に奉仕するよきオーストラリア人に囲まれているからで、それらすばらしい人々や関係が、現実に存在し、存在したということが、わたしを勇気付けるのです。
ですからわたしも未熟者ながら、真剣に生きて、誠実にこの世界に接し、真実を貫き、わたしと出会う人に勇気を与えるような人間になるよう、がんばりたいと思います。

獸木野生


<BIGCAT NEWSは1号から7号まで、このホームページ公開以前に書かれています>


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