幼い頃、よく海辺に行った。 眼前に広がる、途方に暮れるほど大きな水の青と空の青。放っておけばいつまでだって眺めていたろう。刻々と微妙に色を変え、潮は満ち引いていく。渡る風に身を煽られるその度気付く、今在る自分のなんという不安定さ。
溢れる青のあまりの切なさに、虚ろになった心を重ねる。無限に打ちつける波の音に体中が共振する。そして遠く遥かな水平線に視線を合わると、私はそこにいつも同じ幻を見るのだ。それは帆にいっぱいの風を取り込み、力強く波を切り裂き陸を後にする船の後ろ姿。その帆走があまりに迷い無いので、いつも私は哀しくなる。自分はまだここにいる、ここにいるのに。次第に胸の鼓動が早くなる。そのリズムはいつしか無言の信号となって、繰り返し何か囁き続けるのだ。茫洋とした予感。焦燥がこみ上げる。しかしただ戸惑い立ち尽くすしかできない。必死に伸ばす指の隙間に見える船影が、容赦なく遠ざかって波のきらめきと区別がつかなくなった頃、私の身の内にどうしようもない寂寥が満ち、同時にその「予感」も波の音に溶けて、いつしか消えてしまうのだった。
 「予感」の正体を見定めたい一心で、私は何度と無く海辺に立った。しかし結果は同じことだ。掴んだ砂が指の間をこぼれるように、それは私をすり抜けていくだけだった。
 


「私も同行します」
 水の守護聖が、静かに言い放った。
「別についてくるのはかまわんが。なあ、オリヴィエ」
「そーよ、全然オッケーよ、アタシだって。・・・なんのかのとごたく並べて、リュミエールだって遊びに行きたいんじゃないの〜?素直じゃないんだから」
「リュミエールはこう見えても結構酒もいけるクチだ。楽しくなりそうだな」
「・・・・・・全然反省なんかしてませんね」
 少しも悪びれる様子が無い二人。そんな彼等を脱力しつつ眺める。この二人が自分の苦労を真に理解してくれる日など、とても来そうにない。リュミエールは肩を落とした。
 この二人は、今夜もまたこの聖地を抜けだし、夜遊びに繰り出そうとしているのだった。職務に影響しない限りは、時間をどう過ごそうが守護聖達にそれぞれ任されている。女王陛下は寛容だ。しかし、何事にも限度というものがある。この間も二人して深夜泥酔して戻って来たあげくに大騒ぎをし、皆に迷惑をかけたばかりだ。それからまだ日も開かぬというのに。これがあの生真面目で融通のきかぬ守護聖の首座、ジュリアスにでも知れたら。無駄な争い事が何より嫌いな彼には到底見過ごす事などできない。
 勿論、彼等は自らの役目をきちんと遂行している。その余暇で何をしようがリュミエールが口を出す筋合いのものではない。だからこそ、彼等が度を超してハメを外すことのないよう、監視役として同行するのが一番の妥協案に思われた。

「じゃ、今夜は3人でぱーっといきましょ。そうと決まれば私んとこ来てよ。今夜のための服、見立ててあげる。どうせリュミエールなんてそういう服もってないでしょ?」
「服?」
 オリヴィエのその台詞を聞いて、一気に顔の血の気が失せたリュミエールだった。
「服って、私がオリヴィエの服を着るのですか?」
 思わずオリヴィエの格好を頭の上から爪先まで眺めてしまう。今日もかなり激しく、いや華やかに装っている美しさを司る守護聖。極楽鳥と異名を取る彼の服を着るなんて。思わぬ展開に、同行の意思表示を取り下げようかという考えが、リュミエールの頭に即座に浮かんだ。
「そのずるずるのカッコで遊びに行けると思ってんの?目立ってしょーがないでしょうが。あくまでもお忍びなんだからね!守護聖だってばれたら、面倒でしょうに」
「特に今日は主星じゃないしな、行く先が」
 オスカーがとんでも無いことを、さらりと言い放つ。
「主星じゃない?!他の星へまで遊びに行く気ですかっ??」
「大丈夫よ〜。近くだし、明日は日の曜日でしょ?仕事には影響ないって」
「リュミエールが一緒なら、ルヴァに一言断っておこう」
「そうね、そうしましょ。それならリュミエールも安心でしょ?万一ジュリアスあたりが何か勘づいても上手くはからってもらおーっと」
 もしやこの二人、はなから自分をはめようとしてたのでは・・・。目の前が暗くなるリュミエールだったが、そんなことは些細な事だ。彼の頭の中は、なんとしてでもオリヴィエの服を着ることから逃れる事でいっぱいだった。

 言い訳の山を築いて、しつこく食い下がるオリヴィエを説き伏せる事に成功したリュミエールは、一旦私邸に戻り、一心地ついた。夜遊びの計画に意気揚々とする二人の姿が思い起こされる。
(なぜあの二人はあのようにいつもいつも楽しげなのだろう)
 リュミエールは彼等のことを疑問に思った。守護聖として立場を同じくしているのにも関わらず、自分にはとてもああはできない。この任についてからかなりの年月が過ぎているが、未だにリュミエールにとって守護聖という立場は重荷だった。この宇宙の命運さえも握る、自らの聖なる力。自分はそんな力に似つかわしくない。この力さえ目覚めなければ、故郷の星で日々の小さな喜びに幸せを見いだす平凡な人生を終えただろう。時が過ぎゆくにつれ、薄れてきたとはいえ消えることはない思い。彼等にはそういった感情は無いのだろうか?それとも、その上であれほどまでに享楽的かつ楽観的でいられるのだろうか。羨ましいとも呆れるともつかぬため息が、リュミエールから漏れた。
 そんなことを考えつつ、持っている私服の中からシンプルな白のシャツブラウスと薄い空色のスーツを選び取り身支度を整え終えたところに、タイミングよく二人が迎えにきた。
「・・・やっぱ地味・・・。あ〜あ、素直に私に任せればいいものをさ〜〜〜」
 リュミエールの姿を見るなり、不満を述べたてるオリヴィエ。
「すみません・・・このくらいが私の限界で・・・しかし、もしかしてあなたがたはその格好で行かれるのですか?」
 オリヴィエはシックな濃茶の衿無しのスーツ姿。日頃の彼にしてみれば、かなり抑え目のファッションといえよう。しかし首に腕に指に飾られたアクセサリーと、襟元・袖口から溢れこぼれる豪奢なレース、そして七色の長い髪がこうまで主張しているのでは、誰よりも目を引くこと請け合いだ。
 オスカーにいたっては、黒のレザーパンツだけしか着ていない。上半身は裸だ。
「あ。勿論この上にジャケットはおって行くぜ?さすがにこれじゃまだ寒い」
「ジャケットだけですか・・・」
 この格好で果たして「お忍びの夜遊び」というのが遂行できるのか甚だあやしいものがあったが、無駄な徒労で今から疲れてしまっても本末転倒だと、リュミエールはそれ以上のことは言わないことにした。

「で、今夜はどこへ何をしに行くのですか?まさか単に酒場に行くのに他の星まで遠征する必要もないでしょう?」
 行く道筋で、リュミエールは二人に尋ねた。余計な問題のお陰で、そんな基本的な事も未だ聞いていなかったのだ。
「今夜は祭見物に行くんだ」
「祭見物?」
「ああ。主星からほど近い、ラインブルって星で祭があるんだ。大統領の就任記念とか、王様の即位記念だったか。なんでも盛大な祭だってことだ」
 オスカーがごくごく簡単に説明する。彼等にとって、その祭がどんな主旨であろうと関係ないのだ。華やかで楽しげであれば。
「そのお祭りのイベントのひとつに、私がチェックしてるファッションデザイナーの新作コレクションのショーがあってね。ちょっとおさえておきたいのよね」
 オリヴィエが、それは楽しそうに浮き浮きした調子でつけ加える。
「ファッションショー、ですか」
「まあ、それも目的だけど、メインは祭り見物。なんにせよ、聖地でぼーっとしてるよか楽しそうでしょ?他の星に行くってことでおおっぴらにはみんなに言えないけどさ」
「おおっぴらどころか、極秘ですよ極秘!もし留守中に何かあったらどうするつもりなんです」
 あまりの緊張感の無さに苛立ちすら覚えるリュミエールだった。
「何かあればルヴァが知らせてくれる、心配いらないさ。さ、少し急ごうぜ。次元回廊使わないんだ、近いとはいえ一瞬とはいかん」
 オスカーがリュミエールを顎で促す。使わないのではない使えないのだ、こんな物見遊山に女王陛下の許可なぞ降りる訳もない。


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