暗闇から手を伸ばせ             第五章

 広く取られた窓の外、嵐はますます酷くなり雷鳴は絶えず鳴り響いている。
 オスカーは王の私室に通されていた。このままのほうが稲妻が美しいからと彼女は言い、明かりはつけていない。薄暗い部屋に据えられた小さなテーブルには、ティーカップが置かれた時のまま、いたたまれない時間をやり過ごしていた。
「お酒のほうがよろしかったでしょうか」
「いや・・・これでかまわない」
 オスカーは思わず荒々しくカップを呷った。喉を行く冷たさが、経った時間とこの部屋の寒さを知らせる。液体は何か言おうとしていた言葉さえも共に流して、勢いよく胃に落ちた。
 どれくらい二人こうしているだろう。オスカーは辺りを見回すが、この部屋には時をはかるものは見あたらなかった。殺風景な部屋だ。言われなければ私室だなどとは信じられない。
 オスカーは今度は窓に視線を移した。何も見えはしない。何も見つけられない。彼は苛立ちにも似た気持ちになった。押し黙る二人の間にあるものは強く吹きすさぶ風雨の音だけで、それすら窓の外だった。
 それでも何か言おうとオスカーがアディールの横顔を見た途端、一瞬早く彼女の唇が動いた。
「オスカー様。こうして黙っていても退屈するばかり。昔語りでもいたしましょうか。過ぎ去ったことをあれこれ言うのは、あまり好きではないのですが・・・たまの心変わりは嵐のせいとして」
 アディールは薄く微笑んでから、ここへ場所を移して初めてオスカーと視線を合わせた。

「私が即位したのは今から5年ほども前・・・18の時。若すぎる、と周囲の反対も随分ありました。実際このことで昔から仕えてきてくれていた、側近達が多くこの城を去った。皆の言うことが、この星を、そして私を想っての注進であることもわかっていながら、私は彼らを引き留めもせず・・・無理を押しきった。誰が何を言おうと譲れなかった。王となることは私の幼い頃からの夢」
 アディールは、今は部屋の片隅に置かれている、先程までは自分の頭上にあったそれを見て目を細めた。
「誰よりも長く、誰よりも強く。私以上にこの王冠を欲した者などいようはずもない。その想いは執念にも似て、父でさえ畏れをなすほどでした。彼の晩年は、私を無理に王座から遠のけようと躍起になって終わってしまったようなものです。・・・無駄なこと・・・どんな手を使おうが、私のこの想いを諦めさせるなどできはしないのに」
 娘を思う親心から、と聞いていた。どちらが正しいということはないのだろう。分院の長の言うことも、アディールの言うことも、きっと正しくもあり、間違ってもいるのだ。
 彼女もカップの茶を、さっきのオスカーと同じく一息に飲んだ。酒の呑めぬ者が一時の我慢と無理に杯をあおる仕草に、それは似ていた。
「・・・ねえ、オスカー様?私がどうしてそこまでこの王冠に固執していたかおわかりになりますか」
 彼はすぐさま答えた。
「自分の夢を叶えたいと思うことに、何か理由がいるか?俺は、熱っぽく自分の夢を話してくれた幼い少女を知っている。どんな言葉よりも、あの迷い無い緑の瞳が多くを物語るさ」
 忘れようもない。オスカーにとってそれは昨日のことも同然なのだから。
 アディールはふふふっ、と声を立てて笑った。オスカーにはその笑いの意味がわからなかった。
「そう・・・ですわね。私が人にあのようなことを言ったのは、実はオスカー様が初めてでした。王になりたいと思っていたことはお会いする以前からのことですが、口にして、言葉として意識したのはあの日が最初。オスカー様に、一人前として見ていただきたかったのかもしれません。あまりにあなたが私を子供扱いするので、悔しくて。あまりに、目の前のあなたの姿が大きく輝いていらしたので」
「おいおい、言っていることが随分違うじゃないか。あの時、君はちっとも守護聖らしくないと、もっと神々しいもんだと俺に食ってかかってた」
「同じ人間だとか、言いましたわね」
「そう、子供みたいとまで言って。俺の方こそ子供扱いされたんだ。この俺にそんなことを言うヤツはそうはいない。まったく口の減らないお嬢ちゃんだったぜ」
 そんなことを言うのは・・・他にあと二人、か。
 オスカーはふっとその顔を思いだした。
「宴に退屈してあくびをしているような、私たちと何も変わりない人間なのに。やはりどこかが違う。私は一目で魅了されました。八つの子供でもいっぱしに恋をする。恋と気付いたのはずっと後のことでしたけれど」
「あの年頃の娘にとって年上の男はそれだけで大きく映るものとはいえ・・光栄至極だ。男なら誰しも、誰かの初恋の相手になってみたいと思うものだからな」
 オスカーはわざとひときわ大きく高笑いした。表向き穏やかな思い出話。しかし一抹ひっかかる事がある。それが何かはわからなかった。
「オスカー様にもう一度お会いしたかった。王になれば、再びお会いできる機会に恵まれるかもしれない。可能性は低くとも、取りあえず私に手に入れられる最も聖地に近い場所は、ルベリの王座でした。夢は決意に、想いは執念に。時を経るごとに姿を変えて私の心に強くなる。無知な子供ゆえの大きな夢と笑っていた周囲の笑顔も次第に引いていく。取り憑かれたように、私の瞳は、その時はまだ父の頭上にあった王冠しか映さなかった」
 瞳。そうだ、あの瞳だ。あの眼差しが行き場を失ってさまよっているから、語られる言葉の明解さとは逆に、俺はひっかかる。思えばさっき広間で出逢った彼女は、自分をあれだけ拒絶していた。どうしてああまで頑なだった?今は同じ唇で会いたかったと言うくせに。高い理想に反して荒れる星を見られたくないという気持ちはあったにせよ。
「父の急逝によって、私はこの城に再び戻ってこれた。・・・・父の葬列を見送りながら、私の耳にあったのは葬送の曲でもなく、周囲の嗚咽でもなく、私を阻む壁の崩れさる音。これでようやっとあの王冠は私の手に入る。・・・そう思うと、涙より先に自然と笑みすら浮かんだ」
 自嘲の声音が、閉じられた窓越しに聞こえる豪雨の音に混じりオスカーの耳にざらついた不協和音として響く。
 この告白はどこに結末があるのか。
 見通しのきかないこの場所で、一時は薄れかけたあの苛立ちが再び彼の胸に蘇った。
「その後この星がどのような状態であったかは、オスカー様もご存知ですわね。思えば当然のことです、私は王冠は欲しかった、けれど王になってこの星をどう導くかなど考えたこともなかったのです。畳み掛けるように次から次へと起こる問題。ひとつの解決は十の問題を引き連れて、私を今も翻弄している」
「星を統べるとはそういうことだ。最初から上手くやれる者などそうはいない。不遜だが、王としての立場を考えるには良いことと考えるしかない。今は辛い時期だが・・・」
「オスカー様、私は今まで辛いと思ったことなど一回もありません」
 オスカーがまだ言い終わらぬうちに彼女はそう言って嫣然と微笑んだ。その笑顔は稲光に照らされて一瞬ひときわ美しくオスカーの目に焼き付いた。
「オスカー様、これをご覧になって」
 アディールは額に落ちた銀の髪を白い指先でそっとかき上げた。そこに15年前には無かった、青黒く変色した痣と傷跡が現れた。
「それは・・・」
「私への民の気持ち、ですわ。即位してまもなく、酷い飢饉で壊滅にも近い打撃を受けた村に、私が王として視察に行った時のこと。親でも亡くしたのでしょう、小さな子供が私に向かって投げた石がつけた傷です。あの子供の憎悪は迷いなく私の額を割った。赤い血が幾筋も流れ行くのを感じながら、それでも私は少しも後悔なぞしなかった。これが私の選んだ道、これが私が自分で選んでした決断!オスカー様、あなたの下さったお言葉は、私をどんな石つぶてからも守る護符のよう・・・どんな目に遭おうが露ほども痛みなどなかった」
 自分がこうと決めて選んだ道ならば後悔などしない筈だ。それが強さだ。
 あの日の激励の言葉が彼女をがんじがらめにしている。15年前の愛らしい少女から無邪気な笑みを奪い、まるで別人のように変えてしまうほど追いつめたのは、自分の言葉か。

「アディール、強さとは・・・無理をすることとは違う」
「私、無理などしていません、残念ながら。・・・ああそんなお顔をなさらないで。私はオスカー様に感謝しています。今はこれでもこの星を導ける立場にいることに幸福さえ感じています。王になった時点でいったんは導を失った私でしたけれど、この星の苦境を自らの手で救うという目標はやりがいのある命題ですわ。オスカー様のお言葉がなければ私はとうに挫けていたでしょう」
 時折、外の光に照らされては白く浮き上がるその輪郭は、さっき広間で見たのと同じく痩せて細い。嘘を言うな、それのどこが無理をしていない!
「オスカー様がそんなお顔をなさることの方が、私にとっては辛いこと。・・・守護聖様はもっと大きく強く輝いているものですわ。そのように一人の女の言葉に揺れ動いている様は似つかわしくありません」
「そうだな・・・だが。俺が何を思おうが、どんな顔をしようが、そんなことは俺が決めることだ。誰の指図も受けない」
 気付けば売り言葉を買っている自分がいた。ここでそんなことを言っても何にもならないとわかっている。彼女といると自分のペースを失うのはあの時も今も同じだった。
「ふふっ、本当にお変わりにならない。子供のような方・・・!」
 アディールはからかうように言う。目の前にいるのは15年を経て、今度は心から自分を子供扱いしている、女。オスカーの苛立ちがまたいっそう強くなった。子供扱いされたからと言って?それでは言葉通り、ガキと同じだ。しかしそう思っても彼に平静は戻ってはこなかった。
 この告白の結末はどこにある?
 再び同じ問いが浮かぶ。
 既に、二人ともに、わかっていないという確信だけがあった。混乱。言葉は投げ出されたまま、複雑に絡み合った糸の塊となって、二人の間を転がって戸惑っている。
 何もかもを嵐のせいにしたくなる。手を伸ばしても掴めぬ、事の真意。それによって喚起される、この苛立ち。
 導はとうに失われている。だからといってこのままにはできない、どこかにたどり着かなければ。荒海に投げ出された漂流者のように闇雲にもがく。小さな流木でいい、何かこの手に触れてくれ。再び陸に浮上する、チャンスをくれ!
 大きな雷鳴がとどろいた。近くに落ちたようだった。

「いっこうに・・・おさまりませんわね・・・」
 それをきっかけにアディールが再び口を開いた。
「私にとっては嬉しい事にも思えてきましたわ。オスカー様とこうしていられることが」
「・・・さっきは帰れと言った。言うことが矛盾している」
「矛盾がわかるようになったら会ってみたいと、言ったのはどなた?」
 この部屋には時間が無い。15年前と今がどうどう巡りを繰り返し交錯している。15年。彼女にあって自分に無いもの。さっきから何かずれて狂っているような違和感の原因は、そこにあるような気がした。手がかりはこれか?
 オスカーは目を閉じた。あれこれと頭で考えても答は出ない。思うまま選んだ道だけが自分にとっての正解だ。誰の指図も受けはしない。
「俺もあまり過去をあれこれ言うのは好きじゃない。昔語りの返礼に、今日の、俺の話をしよう」
 自分でさえ、何を思って話し出すのかわからないまま、オスカーは語りだした。
「今自分がここにいることは聖地の意志ではない。不安要素は確かにあるが、この惑星は聖地にしてみればそう問題視するほど酷い状況ではない。アディールにとってはお上の身勝手な話に思えるだろうがな」
「そう・・・なのですか」
 ではなぜここにいるのかと、既に一回繰り出された問いが緑の瞳に浮かんでいる。彼は続けた。
「俺の持つサクリアは因果な力だ。他の力を圧してまで強く求められる時、それはあまり良い状況とは言えない。この惑星が俺の力を求めていると知ったとき、いてもたってもいられなかった。あのような平和な星が、とな。そしてアディールはどうしているだろうと、それだけの気持ちでここへ来た」
「・・・・・」
「心配で、というのとも違う感情だ。まるでアディールが俺を呼んでいるような気がした。なぜそんなことを思ったのかわからない。だが、聖地にいてはわからないことでも行けばわかるはずだと思った。行かなきゃならない、どうしても行くと無理を通した。それこそリュミエールなどは大反対したがな」
 部屋に響くオスカーのよく通る声に、今度は彼女の方がさっきまでのオスカーのように、混乱の表情をしている。話し手と聞き手が代わって、その感情も引き継がれる。着地点の見えないオスカーの話に、明らかに苛立つ、アディール。その様子にオスカーは何やら意地悪い笑みさえ浮かんだ。
「・・・・どうしてそんな顔をする?」
「・・・え?」
「俺の目の前にいるのは、幼い頃からの夢を実現した女のはずだ。その頭上には王冠があり、目の前には俺がいる。しかも自分に会いにだ!なのに何でそんな顔をしている?それが長年想い続けた片恋の相手に出逢った女の顔か?父の死にも、民の不幸も、星の苦境も。何をもってしても変わることのなかった望みを、手に入れた人間ならもっと嬉しそうな顔をしてもいい。そうじゃないか?」
「なにがおっしゃりたいのですか」
「言っていることは明解のはずだ」
「そのように・・・意地の悪い言い方・・・まるで」
「子供みたい、か?その台詞は聞きあきた」
「実際そうなのだから仕方ありませんわ」
「たった15年で大人ぶるな」
「・・・あなたこそ・・・いつまでも無邪気な子供と面影を重ねないで!!」
 既に叫びに近かった。小刻みに震える頬にやっと赤みがさす。
「つんとすました女王様の顔より、怒った顔のがいい。魅力的だぜ、アディール」
「ふざけないで!オスカー様にはおわかりにならないわ。私のこの15年がどんなものだったか。この星で私がどんな想いで長い月日を過ごしていたか。淡い初恋なんて、そんなお綺麗なものじゃないわ・・・そんな程度のものじゃない、胸を焦がすだけでは飽きたらず、火種を求めてさまよって、周囲をも巻き込んで焼き尽くそうとするようなあの激情。・・・オスカー様はご存知ないわ。八つの子供でもそのような恋に落ちることがあるということを!」
 オスカーはやおら立ち上がった。勢いで椅子が倒れ、その大きな音にアディールの身体はびくりと硬直した。
「昔のことをどうこう言うのは好きじゃないと言った。互いにな」
 低く静かに響く声。いつのまにか嵐は弱まって、雨音も僅かばかりになっていた。
「このくだらないどうどう巡り、いい加減断ち切る時期だ。15年前の記憶など色褪せてしかるべきだ。二人とも囚われすぎている。俺とアディールの間に流れた時間の長さが問題なんじゃない、今ここに、同じ場所に二人がいることの方が重要だ」
「・・・・・」
「正直言って俺自身、何を望んでいるのかわからない。たぶんお互いに同じ気持ちだろう。長々話していても答は出なかった。・・・結局」
 オスカーはゆっくりとその手を彼女の目の前に差し出した。
「手を伸ばせば、届く。ここにある真実はこれだけだ。・・・待っても出ない答なら、探しに行くまでだ!」
 アディールは顔を上げ、大きな手のひらをしばし黙って見つめた。そして言った。
「おっしゃる通り・・・私も今自分がわからなくなっている・・・自分がどうしたいのか。何を望んでいたのか。この手を取ることで・・・それがわかるというのなら・・・・」
 指と指が触れた瞬間、オスカーはその手を乱暴に掴み引き寄せた。よろけるように彼の胸の中へと倒れ込むアディール。息ができないほどの強い抱擁に、彼女もまた覚悟を決めたように彼の背へ腕をまわした。
 窓の外の、足止めと心変わりの嵐は既に静まっていた。


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