聖地の庭園。まだ早朝のせいか人影は無い。爽やかな風が吹き抜け、今日も相変わらず平穏なこの聖地の一日の幕開けを知らせる。
「なにもさぁ、次元回廊の出口で待ちかまえてることないと思わないっ?ジュリアスってほんと、怒りに目の前が見えなくなるタイプ!腕組みして仁王立ちでさああ、もう眉毛なんか顔面神経痛でピクピクしちゃって!!!」
「そこまで言うか。今回のことはあの方がお怒りになるのも仕方がない」
 日頃ジュリアスの一番の理解者として側にいるオスカーがオリヴィエをなだめる。
 ラインブルから早々に帰った彼等をまず待ち受けていたのは、何よりもこの件を知られたくなかった光の守護聖だった。3人は到着するなり彼の執務室に直行することを余儀なくされ、今の今までお説教を食らっていたのだ。
「次元回廊でルヴァ様まで呼びつけてしまいましたからね。隠密に、という訳にもいかなかったのでしょう、ルヴァ様も」
 リュミエールも慣れない長時間の小言に、かなりの疲労の色を見せていた。空を仰ぐ。その色は少しずつ青みを増し、ゆっくりと時間の推移を告げていた。
「あの二人は無事に逃げおおせたでしょうか・・・・」
 リュミエールが呟く。オスカーとオリヴィエも同じく空を見上げた。そんな彼等の間を一陣の風が通り抜ける。

「そういえば。あのプレゼントの中身、なんなんだ?」
「んふふ〜〜〜とーってもいいもの。当ててごらん」
「私にはわかりましたよ、オリヴィエ」
 へえ、と少し意外そうな表情で、オリヴィエは水の守護聖を見た。
「さすが勘が良いね、リュミちゃんは。そういうとこ好きよー」
「少し考えればわかります、あなたのやりそうな事は」
 リュミエールは軽く微笑んだ。
「何だ、二人して。いいから早く教えろ」
 自分一人かやの外なのが悔しく、待ちきれないというようにオスカーがオリヴィエをこづいた。
「マリエ・・・でしょう?ファッションショーの最後はそれと決まっているものです」
「ピンポ〜ン!ほんと女好きって言ったって、そういう事には頭まわらないんだからね、オスカーは」
 オリヴィエの皮肉に、いつもなら買い言葉のオスカーだったが今回は聞き流した。
「ウェディングドレスか。なるほど。それであの倉庫でがさがさ捜し物してた訳か」
「倉庫を出るときには持っていた荷物が帰りには無かったですからね。私はあの時オリヴィエが私利私欲に走っていたのだと思っていましたが」
「ひどいわね〜、もう。ま、時間と手が余ってれば少し自分用にも頂きたい気持ちもあったけどさ」
 オリヴィエは少し照れたのか、必要以上におどけてみせた。
「まるで盗賊だな、美しさを司る守護聖ともあろう者が。その力が泣くぞ」
 オスカーは高笑いした。
「彼女がそれに袖を通すのはいつのことなんでしょうか」
リュミエールが目を閉じ、その姿を瞼の裏に浮かべる。
「隣がリューイじゃなかったりしてな」
「そしたらリュミちゃん、代わりたい?」
 オリヴィエの唐突な言葉にリュミエールはどきりとした。
「オリヴィエ、すぐそういったことを。あなたの悪い癖です」
「兄としては幸せ祈るのみってこと〜?ほんと〜?」
 にやにやと内心を探るようにリュミエールを見るオリヴィエ。リュミエールはそんな彼を納得させられるかどうか疑問に思いながらも、正直な気持ちを表す言葉を探していた。
「兄として、というのも今は違うような気もしますが・・・」
 けして恋愛感情ではない、ケイのことを思う気持ちは。もっと違う何か・・・。

 
「私の故郷の星は水の豊かな星でした。幼かった私は海を眺めるのが好きでした」
 唐突にリュミエールの口から語られ始めた物語に、二人は不思議そうな顔をした。しかし余計なちゃちゃは入れずに、彼の言うことを最後まで聞くことにした。
「そしていつも同じ幻影を見た・・・陸を後にする船の後ろ姿・・・・私はそれを見る度に、その船に乗れない自分が切なかった。どこへいくとも知れぬ船、しかしその行く先には何かあるような気がしたのです。今が不満なわけではない。けれど、そのどこか遠い場所に私は行きたかった。何かがいつも私を惹きつけるのです。それが私にとって幸か不幸かもわからない。はっきりしないが故に、私の心を波立たせる」
 ここは聖地の庭園で、目の前には噴水がきらめきながらその水しぶきを上げていた。 が、オリヴィエとオスカーの目には雄大な海が、幼いリュミエールが海辺に立ち尽くしている姿が、映っていた。リュミエールは続けた。
「このような気持ちはついぞ長い間忘れていたのですが。あの祭の熱気でふと思い出したのです。人々のうねりが波に重なったのかもしれない。私の胸には様々な感情が同時にわき上がりました。焦燥、寂寥・・・。軽い混乱さえ覚えました。この、意味深げに私に囁き続ける予感はなんなのだ、と」
 そこまで話すと、リュミエールは一息入れ、真剣に耳を傾けている眼前の友に向けて艶やかな程の笑みを浮かべた。
「でも私は知ったのです。予感はこの時を知らせるものだったということを」

 その微笑みがあまりに侵しがたい美しさに満ちていたので、オリヴィエとオスカーは小さい衝撃を受けた。この守護聖はもとより美しいが、彼は儚げでその薄い色の瞳はなんとはなしにいつも空虚なイメージを想わせる。しかしこの笑みにそれはない。彼等は何も言えず、ただリュミエールの次の言葉を待つしかなかった。
「ケイとリューイは私にとっての船だったのです。彼等の迷いないその瞳に、私は後をついて共に行きたいと思いました。しかし彼等の後ろ姿は船の幻と同じく、私をその場に置き去りにする、容赦なく。それに今の私には他にやるべき事がある。共に行くなど到底叶うものではないのです」
 今はもう、幼なかったあの頃の自分とは違う。この身、この力が尽きるまで女王の意志に応えるという使命がある。
「ならばこの思いだけでも、彼等の荷物のひとつとして連れていって貰おう。そして彼等がこの先見るものを、空を渡る風にでも託して聞かせて欲しい。・・・もちろんそんな私の願いを彼等は知らない。それでいいのです。私はこれからずっと問いかけるでしょう。今あなた達は何処にいる?どんな想いを抱いている?あなた達の望む夢は少しづつでも叶っているのだろうか?と。返事がなくてもかまわないのです。ガラス瓶に詰め海に流す手紙と一緒で」
 再び空を仰ぐリュミエールの視線の先には、日中は見える筈もない、夜の闇でもここからはあまたある星のひとつのきらめきでしかないラインブルが見える。
「これは・・・恋愛感情とは違いますよね?オリヴィエ」
 急に話の矛先を向けられ、面食らうオリヴィエだった。慌てて言葉を探す。
「あ、ああ。そういうことなら違うわね」
 動揺している夢の守護聖に、助け船を出すようにオスカーが言う。
「良かったな、リュミエール。やっとその船に乗れたってことだ。身体はここにあっても想いは出航に間にあった。もう焦りも哀しみも感じないだろう?」
 水の守護聖は小さく頷いた。
「ありがとうオスカー、オリヴィエも。長々とつまらない思い出話などお聞かせして。でも私の言いたかったことが伝わったようで安心しています。あなた方のお陰で長い間の心の刺が取れた。感謝しています、あの星に連れていってくれたことを」
 リュミエールは二人に礼を述べ、庭園を後にした。

 


 もう見ることはないとさえ思った船に乗り、私の想いは大きな海原を渡る。あの頃のような哀しみは感じない。・・いや、消えることはないとわかったから、私自身はここでこうしてこの哀しみと共にいようと決めたのだ。この身に溢れる寂しさを、喜びと等しく迎え入れようと決めたのだ。そして荒れる海に敢えて航海に出た、親愛なる友が同じように思ってくれるといい。行く先々で出会う哀しみをも、愛しいものとして受け入れて欲しい。それができるなら、きっと彼等は望む通りの未来をその手に掴むことができるだろう。時空を超えて渡る風が彼等の喜びを私に伝えてくれる。その時が来たら、私はせいいっぱい心を広げて、彼等に歌を捧げよう。祝いの言葉に代えた歌を。
 リュミエールは近くにあった竪琴をそっと引き寄せ、その透き通る弦をはじいた。

        (終)


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