小説『薔薇色の日々』              02

 そう厚くもない木造りの扉の向こう、微かに人の気配を感じた。彼はゆっくりとベッドから体を起こす。そして、扉に向かって声をかけた。
「炎の守護聖は」
 返答は無い。今一度、同じ台詞を言う。
「ほのおのしゅごせいさまは?」
「・・・・・宇宙一のいい男・・・・・」
 一瞬の間をおいて微かに聞こえた返答に、彼は満足げに扉を開けた。そこにはマントに身を包み込んだ若い男が立っている。
「リュミエール、誰にも見られなかっただろうな?」
「オスカー。それは大丈夫ですが・・・」
「ですが、・・・なんだ?」
 部屋の奥へと歩み進んでマントを脱ぎ、椅子の背もたれにかけつつ、リュミエールは脱力したように肩を落として目を伏せた。
「オスカー、遊びではないのですから」
「・・・?別に、遊んでるつもりはないぜ」
 そこまで言いかけた時、再び扉が乱暴に開け放たれた。同時素っ頓狂な声が響く。
「はーい、オスカー。リュミちゃんも。ま、アンタとはさっきも会ったけどね・・・何よ」
 そこまで言って不満げに自分を見るオスカーの視線に気付いたオリヴィエだ。
「オリヴィエ・・・。合い言葉言ってから、って伝えただろう!?」
「・・・うーるさいわねえ」
 相手にしてられないとばかりに目の前をすりぬけ、奥のベッドに乱暴に腰をおろす。そうしてからオリヴィエは小馬鹿にしたように顎を少し上げて言った。
「何年お互いの顔みてると思ってんのよ?今更合い言葉なんかなくったって間違えようないじゃないのさ。ガキ!・・・ったく遊びじゃないんだからさあ」
 横でリュミエールが言葉無く大きく頷く。
「遊びじゃない遊びじゃないってお前等・・・」
「いーからお茶くらい出ないの、この部屋は!寒い深夜にわざわざ馬小屋まで来てやったんだからさー」
「馬小屋は隣だ!ここは俺の部屋としてあてがわれてる・・・」
「・・・・小屋、と言うしかない建造物、ですね」
 リュミエールに軽く言い放たれて、またしても唇を噛むオスカーであった。
「あー、お前等はさぞかし良い待遇なんだろうな、日々ちゃらちゃらとお貴族様ごっこ。着飾ってさっきまで晩餐会とかやってたんだしなーあ?」
「ああら、こっちはこっちで苦労があるんだよ。晩餐会って言ったって、楽しいどころかギスギス緊迫しちゃってさ、疲れるばっかだったし。ねえリュミちゃん」
「そうです、オスカー。それぞれここに潜り込むにこの設定が一番良いとのことは、皆で検討して決めたこと」
「それはそうだが・・・いやでも、オヤジの相手はどうでも、レディであるならオリヴィエよりも俺のほうが」
「スリーサイズが全部一メートル、ってなオバサンでも?・・・まあ、アンタは平気かもね、ある意味」
「いいえ、だからこそいけません。オスカーではよけいな面倒事を引き起こしかねない」
「何?」
 オスカーが勢い立ち上がった拍子に椅子が大きく音を立てる。その音に夜の静けさがかぶさり、不意に3人は我に返った。
「くだんない口げんかしてる場合じゃない・・・んだよね」
「そうですね・・・」
「つい、な」
 考えてみると、こうして自由に思うまま会話すること自体3人には久しぶりのこと。口がすぎるのも無理はなかった。
「で、どうだリュミエール、首尾の方は?」
 オスカーがまず話題の矛先をリュミエールに向けた。
 ベッドに寝そべるオリヴィエに向かって、暖炉の前にあるポットを取ってくれるよう頼みつつ、オスカーは戸棚に歩み寄ってカップを取り出している。その様子を眺めながら、リュミエールは浮かない表情だ。
「めぼしい事はまだなにも・・・。ここのところようやくこの城の状況も知れてきたといった段階で」
「そりゃそうだ、まだ三日だもん。ワタシの方もそんなもん」
 オリヴィエがオスカーによって既にテーブルの上に並べられたカップに、手際よくコーヒーを注ぎながら同意する。
「お前等真面目にやってんのか?」
「やってるわよー。そういうアンタは、オスカー」
「俺?俺は真面目も真面目だぜ。夜も明け切らぬうちから飼い葉の用意を・・・」
「馬の信頼ばっかかってどうすんのよ。アンリのこと!」
「・・・顔見たのは今日が初めてだからな・・・俺の場合」
 3人は一様にテーブルに肘をつき、両の手をカップで暖めつつ、ため息をついた。
「・・・・ルヴァもさあ、あれで結構タヌキ、だよねえ」
「まったくだぜ。気軽く妙なこと言いつけてくれたもんだ」
「仕方ありません、ルヴァ様ご自身も詳細がわからないことなのですし」
 三人は、今この場所にいることの始まりをともに思い浮かべた。


「驚きましたよー。書庫の奥、前代の守護聖達の日記を読んでいて。こういうことがあるから、古い文献を常々にひもとくことは大事なんですよねー。もう少しあの場所の管理に力を入れるようジュリアスにも・・・」
「前置きはいい、先を言ってくれ、ルヴァ」
 気短な炎の守護聖はいらいらしたように足を組み替えた。苛立ちまではいかないまでも、急に地の守護聖の私室に呼ばれ事情が明かされないことに怪訝な顔をつい浮かべてしまうのは、夢の守護聖も水の守護聖も同じだった。
「あ、ああ・・・すみませんねーオスカー」
 地の守護聖は、3人の守護聖を目の前にゆっくりと続ける。
「で、さっきの続きですが。どうやらあなた方の前任の守護聖達がその地を訪れた際にですねー、何かとても世話になったとかで、その礼にと・・・」
 ルヴァの話は回りくどい。要約すれば、その謝礼代わりの品にサクリアを込めた何か、を残してきた、という話なのだ。
「己のサクリアを何か物に込めるなどということが可能なのですか?」
「私も初耳です、リュミエール。今、私達には到底出来ないことですが過去にはできた者もいたのかもしれない。とにかく、記録にはそう記してあるのですよー」
「で、できたとして。それがどうかしたか。わざわざそんな人情話を俺達に聞かせるつもりで呼んだんじゃないんだろう?」
「ええ、オスカー。これは私の憶測なのですが・・・、そのようなものが民の手にあるというその状況が少し気になりましてね」
 何にどのような方法で、いったいどの力を込めたものかさえわからない。だがそれ故に、地の守護聖には気がかりのようだ。サクリアは宇宙の根本を支える力。理論や研究分析だけで何かをわかったつもりになるには、あまりにも未知で大いなる力だ。
「心配しすぎなんじゃないの?」
「しかし確かにこのまま放っておくわけにも。何か事が起こってからでは・・・そうお考えなのでしょう、ルヴァ様」
 リュミエールの沈んだ声を気遣ってか、ルヴァは穏やかに微笑んだ。
「まーそんなに大事になるとも思ってないのですけどね、実は。別に今までも特に異変は起こってないわけですしー。ただ可能性だけは否めない、と」
「可能性だけはな」
「ええ。だから・・・聖地に戻したいのですよ、それを。あなた方に頼みたいのはそれです」
 三人は思わずいっせいに、あっさり言ってのける地の守護聖の顔を見た。
「・・・泥棒してこいっての?」
「まあ、そんなところですねー」
 ルヴァは茶をすすりながらなおも呑気に言う。
「幸いにもどこにあるか、ということだけははっきりとわかりますしー。ある小さな惑星の、一領地。この領主・・・既に当時とは代替わりしているでしょうけれど・・・の城のどこかにあるということです」
 リュミエールが不安げに問う。
「そういったことは、王立研究院か、派遣軍の者の方が適任なのではないでしょうか?」
「ああ、あまり大がかりになるのもね、問題がいろいろありましてねー」
「それにはワタシらが一番良いって?・・・聖地も酷い人出不足!」
「書庫の管理よりも先に諜報担当の人員を増やせとジュリアス様に進言したいぜ」
 各々の不平が噴出する。ルヴァは諌めるように言った。
「もちろん無理にとは言いません、このような茫洋とした話です。ただ・・・もし事が起これば・・・あなた方の誰かが大変な仕事を負うことになるでしょうねえ。サクリアは少なくともそのうちどれかなのは確実ですから」
「・・・・・・・・」
ルヴァは悠然と微笑んで言った。
「できればお願いしたい、あなた方に。他の誰より適任だと考えます、能力的にも、状況的にも」


 実際来てみれば唯一わかっていた事実さえ、少々複雑な展開になっていた。くだんの領主一家は、同じ領地内に遠くない距離とはいえ、それぞれに居を異にして今は暮らしている。一番に可能性が高いのはやはり主の居城と当たりはつけてみたものの、他のふたつを無視はできない。だからこそ3人それぞれに潜入すると決めたのだった。リュミエールは領主の城へ、オリヴィエは夫人の城へそれぞれ客人として。オスカーだけが使用人で潜入しているのは、偶然にも求人の口があったのと、アンリという青年が若くして実直な人柄だと聞いたからだ。
 こういう人物は一時の客などよりは使用人に心を許す、そう言ったのはオスカー本人だった。

「せめてもう少し具体的にわかりゃねえ、違うんだけど」
 オリヴィエの言葉にリュミエールも頷く。
「あまりにも漠然としすぎています。何の力かも、何にどのように込めたかも、どこにどのような状態であるのかも、それが今後どうなるかも、わからないものを探せとは」
 まるで手元から立ちのぼるこの湯気のように、かすかで頼りないものを掴むような話だ。オスカーは、自棄気味にカップを煽った。
「誰なんだ、まったく迷惑だな、その人情にあつい後先考えない守護聖は!」
 思わず吹き出す夢の守護聖。
「・・・炎じゃないの〜?」
「オリヴィエ、サクリアは同じでもその個性は別に縁続きではありませんから」
「何ぃ」
 アイスブルーの瞳が鋭く光る。真面目にたしなめたつもりの水の守護聖の言葉はよけいにオスカーを苛立たせたらしい。
「はいはい、喧嘩はやめよー。どんな荒唐無稽なことだって、お仕事には変わり無し。お互いしたくもない苦労の日々はさっさと終わりにしたいでしょ?」
「これほどの時間外勤務だ、遂行の暁にはゆっくりバカンスでも貰いたいもんだな、お前等とは別に」
「同感ですね。バカンスはともかく、かような日々からは開放されたい・・・」
「毎日ハープひいておっさんの相手って、お前別に状況変わらないじゃないか」
「誰のことを言っているのですか!」
「ははーん、リュミちゃん。あの領主サマになんかされた?」
 意味深なオリヴィエの笑み、リュミエールは事情がわからない。
「何かとは?・・・別になにも」
「相変わらずそういうの鈍感!さっきのあのオヤジ、リュミちゃん見る目アヤシかったよーお。なんか目え細めちゃって」
「そうなのか?ま、無理もない、自分の奥方が目に余るグラマーじゃあな、お前なんか華奢な女そのものだぜ。せいぜい気をひいて、くだんの宝のありかでも寝物語に聞き出すか?」
「・・・・オスカー・・・・」
 既に声を荒げる気力もないほどに、リュミエールは怒りに震えている。気付いてか気付かずか、他のふたりはにやにや笑って面白がるばかりだ。
「ま、そういう類のことはリュミちゃんには無理だって。融通きかないタイプだもんね」
「フッ、偉そうに言うじゃないか。お前ならできるってか?」
「だーかーら、そういう聞き方なら、アンタがあのオバサン担当になったっての!ワタシはワタシのやり方があるんだからね」
「お手並み拝見といくぜ。そこまで啖呵をきるならな」
「アンタもね。別に人出が余って馬の世話担当なわけじゃないってこと、忘れないで」
「重々承知」
 やにわに意気上がる二人を後目に、リュミエールが呟く。
「ですが結局は・・・今ここで話し合うようなことはひとつも無い、と」
「水差すねえ・・・」
「洒落にもならんな。・・・悪いが俺はここじゃ朝が早いんだ。お前等もそうは留守にしておけないだろう?お開きにしようぜ」
 オスカーの言葉に促されオリヴィエとリュミエールは立ち上がり、再びマントに身を包んだ。次の会合を決めて後、二人は共に扉を出る。夜は深く更け入り、夜気が沈んでしんしんと冷え込んでいる。そのせいで空には冴え冴えと星が美しく煌めいて、時間のわりに周囲は明るい。
 彼らが滞在するそれぞれの城は、歩くには少し距離があった。来たときと同じ道をぽつりぽつり言葉を交わしながら辿る。
「ところでオリヴィエ」
「なあに?」
「先ほどの・・・あの・・・例の・・・」
 口ごもる水の守護聖に、オリヴィエは勘良く反応した。
「あ、領主サマのホモ疑惑のこと?」
「・・・・疑惑ですめば・・・良いのですが」
「さっきはからかって悪かったよ、ジョークジョーク、大丈夫だって!」
「本当ですか?」
 未だ穿った視線を向ける水の守護聖であった。
「そんなに心配なら・・・良いこと教えてあげる、必殺技。ヤバい!って思ったら、この台詞言ってやればいいよ」
 そう言ってオリヴィエはリュミエールに耳打ちした。
「そ・・・そのようなことを言って大丈夫なのですか?」
「大丈夫!どうせホントになんかなりはしないし、一級のジョークで相手も黙るって」
 自信満々のオリヴィエに、やっとリュミエールの顔にも安堵の色が浮かぶ。
「そう・・・ですか。わかりました、ありがとうオリヴィエ」
「ま、お互いサマ。オスカーはああいうけど、気楽じゃないよねえ、有閑貴族のお相手もさ。同情するよ、リュミエール」
「あなたも。なかなかに強い個性の御方でしたから、あの奥方も」
 そのねぎらいに対する返事代わりの夢の守護聖のウィンクは、同時に道を別れる合図ともなった。ここからまたしばし、気楽な会話とも別れを告げなければならない二人だった。

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