「ねえ、オリヴィエ様?」
 まだ興奮冷めやらぬ様子に頬を紅潮させたアンジェリークが、話しかける。基地の明かりが見えて来た。
「私・・・この星に来て、少し意外な気がしてたんです。この星、オリヴィエ様っぽさっていうか、オリヴィエ様のイメージとしっくりくるものが何もない感じがして。この視察旅行のお話でこの星のことを聞くまで、オリヴィエ様は熱帯の星のお生まれと、何の根拠もなく思ってたし・・・・。この星に来てからも、無彩色の、どこまでも氷と雪のこの星に、私はオリヴィエ様を見つけられなかった。・・・でも」
 足を止めて、アンジェリークはオリヴィエの方向に向き直った。基地に着く前に話し終えたかった。
「オリヴィエ様はオーロラだったんですね。軽やかで、色鮮やかで、神秘的で。凛としていて、もちろん例えようもなく美しくて・・・・。でも少しも儚い感じはしない。むしろ強い意志があって。そして何より自由だわ・・・。ひとつの形にとらわれずに自由に空に伸びていくあの感じ・・・・本当に、オリヴィエ様そのものだって思いました。夢を見ているようでした。『夢』の守護聖がこの星から生まれたのも必然だったんですね」
 言い終えると少し照れたのか、アンジェリークはうつむいた。
「あ、すいません、私ったら柄にも無いこと言って」

 まるで歌の調べのように心地よく響くアンジェリークの声を聞きながら、オリヴィエはアンジェリークの手を取った。
 「・・・少しだけ・・・いいかな」
 「・・・え?」
 オリヴィエはアンジェリークの返事を聞かずに、ぐい、とアンジェリークの体を引き寄せた。そして、強く抱きしめた。
「ごめん、アンジェリーク・・・・少しだけ、こうしていたいんだ」
 アンジェリークは心臓がこのまま止まってしまうのではないかと思った。自分が今、オリヴィエの、夢の守護聖の腕の中にいる。到底信じられることではなかった。ここは極寒の地であるのに、すべてが熱に溶けそうな気がした。
 そして彼女は気付いた。オリヴィエの体が小刻みに震えているのを。そしてそれは冷たい外気のせいではないことを。
(オリヴィエ様・・・・泣いて・・・る?)
 アンジェリークは動揺した。まさか、オリヴィエ様が泣くなんて、そんなこと。私の勘違いに決まってる!
 アンジェのそんな様子を知ってか知らずか、オリヴィエが沈黙を破った。しかし、その手はゆるめずに。
「アンジェ・・・・。本当にありがと。この宇宙はもう限界で、この星もやがて消えゆく運命だけど、でも、その前にここに来れて良かった。私の生まれた星・・・・アンジェとここに来られたこと、女王陛下に・・・・ううん、この宇宙の全てに感謝せずにはいられない。この星に生まれて良かったとさえ、今は思うよ」
「オリヴィエ様・・・・」
 アンジェリークはされるがままになっていた。ふたりはいつしかそっと体を離し、ゆっくりと基地の扉に向かった。言葉は交わさなかった。言葉は必要では無かった、というべきだろうか。アンジェリークの部屋のドアの前まで送り届けると、オリヴィエはそっと彼女の額にキスをした。
「おやすみ。今日はゆっくり眠るんだよ」
「はい、オリヴィエ様も。おやすみなさい」
 ふたりは一瞬視線を交わし、別れた。


 部屋に戻ったオリヴィエは、窓辺の椅子にもたれて、外の景色を見やった。
「生まれてこの方、良い想い出のひとつもくれなかったくせに・・・最後になって随分ビッグなプレゼント、してくれたじゃない、アヌーシュカ。・・・・もう会えないのは寂しいね・・・・・」
 窓のガラスをこつんと指で弾くと、オリヴィエはゆっくりと目を閉じた。いろいろな想いが瞼の裏をよぎる。昔どこかで誰かに教わった、古い詩を思い出す。

 夢は そのさきには もうゆかない
 なにもかも 忘れ果てようとおもい
 忘れつくしたことさえ 忘れてしまったときには

 夢は 真冬の追憶のうちに凍るであろう
 そして それは戸をあけて  寂寥のなかに
 星くずにてらされた道をすぎさるであろう

 そう、たとえもう会えなくとも、いつだって夢は帰っていく。この氷原をわたる冷たい風、頬に触れては溶けていく粉雪、高く天に刺さる針葉樹の群。いつまでだってこの胸に鮮明に思い起こすよ、私の育った星。

 そして私は
 見てきたものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
 だれもきいていないと知りながら 語り続けた・・・・・

 明日の夕刻には聖地に戻る。アヌーシュカでの数日は、聖地ではたった一晩のこと。
「良い夢をね、アンジェリーク・・・」
 そうしてオリヴィエ自身、すうと眠りに引き込まれていった。

             (終)


参考出典:立原道造『のちのおもひに』

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