窓を開け放つと、まだ少しひんやりとした生まれたての風が部屋に入り込んで来る。朝はまだ明けてまもない。瑞々しい陽光は、そこかしこに溢れる木々の葉先を照らし、朝露が光っては落ちる。
 いつでもここは美しいけど今朝はなんだか格別な気がする、珍しくこんな早朝に自然と目を覚ましたアンジェリークはそう思った。
 アンジェリーク・リモージュが次期女王選定試験のためにこの飛空都市を訪れてから、もうどれくらいがたっただろう。最近やっとここでの生活にも慣れて、少々の余裕も出てきたところだ。
 最初の頃は訳もわからず、ただ肩に力が入るばかりで、週に一度与えられた日の曜日の休暇も、試験に備えての予習復習などでアッという間に暮れてしまうか疲労を回復するのに費やしてしまうかのどちらかだった。
 ある日突然考えてみたこともない女王候補としての生活に投げ込まれた身としては、仕方が無かったかと思う。毎日がめまぐるしく過ぎ、責務の重圧に押しつぶされそうになりながら、それでも何とかやってこれたのは、少々でも自分の育成に応えてくれようとする彼女に与えられた大陸エリューシオンのおかげ・・・・・、そしてその育成に力を貸してくれるのは勿論、何か壁にぶつかる度に励まし力強いアドバイスもしてくれる、女王補佐官や9人の守護聖の存在だった。
 時折、夢を見ているのではないかと思う時がある。自分が次なる女王の候補としてこの場所にいること。そしてそんな大それた責任を負わされてなお、ここにいることが幸福とさえ思える自分が不思議だった。もう会えないかもしれない家族や学校の友人達のことを思い涙することはある。でも、そんな孤独も乗り越えられる出来事のひとつのように思えてくる。それがどういうことなのかは上手く整理がつかないけれど。
 女王としての自覚や、民を導ける自信などもうひとりのライバル、ロザリアのように胸を張って公言できないアンジェリークではあったが、それでも少しずつ変わってきているのかもしれない。
「だと、いいけどね」
 アンジェリークは呟いた。
 身支度を整え、朝食をすませたアンジェリークは、楽しい想像に思いを巡らした。
「さあて、今日は日の曜日ね。どう過ごそうかな?」
 緑溢れ、人々が思い思いに休日を過ごす庭園を散歩するのもいい。それとも恋人達が密やかに愛を語り合う森の湖でゆったり過ごそうか?それとも・・・・・。

 アンジェリークが幸せなひとときは、ノックで遮られた。
「は、はいっ!」
慌ててドアに走り寄る。
「アンジェリーク!起きてる?」
 ドアを開けるとそこには、9人の守護聖の一人、オリヴィエが立っていた。彼は美しさを司る夢の守護聖。その聖なる力に相応しく、飛空都市で一番艶やかな人物だ。今朝も完膚無きまでに美しく装って、アンジェリークの前で微笑んでいた。
「オリヴィエ様・・・おはようございます!今日もお美しくて・・・・」
「んまー、朝っから嬉しいこと言ってくれるね、アンタってば。今、大丈夫?」
「はい、どうぞおはいりください。お茶でも入れ・・・・・」
 アンジェリークは息を飲んだ。オリヴィエだけではなく、その後に見知らぬ数人の男達が続いて彼女の部屋に入って来たのだ。彼らは手にそれぞれ大小の箱を持っている。
「はーい、キミタチは荷物を適当な場所に置いてねー。あ、そこのアンタ!荷物重ねないでよね・・・そうそう、はい、じゃ、済んだら退散して!どーもありがとねー!」
 男達はオリヴィエに促されるまま手荷物を部屋に置いて直ぐさま出ていった。
「お、オリヴィエ様・・・一体何事ですか?」
 事情をよくつかめないアンジェリークは、目の前の美しい守護聖に問いただした。オリヴィエは事もなく、荷物の数を確認しながら何だか嬉しそうに言った。
「え?これ?うっふふ、アンタへのプレゼント!」
「プレゼントって・・・私、誕生日でも何でもないし・・・しかもこんなにたくさん・・何なんですか?」
 困惑するアンジェリーク。オリヴィエは日頃からつかみどころのないようなところがあるが、今日のこの行動はまったくもって意図がわからない。
「そーんな困った顔しないでよー。別に怪しいもんじゃないよ?これ女王陛下の特命だもの。安心して。ね、ね、中見よう!開けよう!」
 そう言って、オリヴィエはアンジェリークのことは意に介さず、包みをほどきはじめた。
「女王陛下の特命?」
  ますますもって訳のわからないアンジェリーク。しかし、目の前の美しい守護聖はこれ以上は今は教えてくれそうもない。仕方がない、小さくため息をついて大人しく荷ほどきに参加することにした。大きな箱もあれば小さな箱もある。一体中身はなんだろう。アンジェリークとて実は興味津々だった。
 次から次へと箱の中身があらわれた。
「わあ・・・可愛い・・・・!」
 思わず感嘆の声が漏れた。もうさっきまでの困惑はどこへやらと消えていた。そんなアンジェリークの様子を見てオリヴィエは格別に嬉しそうな表情になった。
 プレゼントの中身は、コート、ドレス、ブーツ、帽子、手袋、バッグ・・・・、どれもこれもが一見して上等な品だとわかる、美しい品々だった。
「可愛いでしょー?私が気合い入れて選んだんだから。きっとアンタに似合うわー。このコート、アンタのふわふわの金髪には絶対Aラインだなって思ってさあ。この衿と袖口のファーのあしらいが可愛いでしょ?帽子もおそろいなの。でね・・・・」
 熱心にそれぞれの品に解説を加えるオリヴィエだったが、当のアンジェリークは話半分にしか聞いていなかった。呆然として声も出ない、といった風情だ。年頃の少女なら当然の反応だったろう。アンジェリークは、おそるおそる一番手近にあった黒い毛皮の帽子を手にとった。あまりに柔らかく、溶けてしまいそうな手触り。
「・・・・素敵・・・・・」
 しばし熱に浮かされていたような様子で、部屋いっぱいの品々を手に取るアンジェリーク。
 ふと我に返ってオリヴィエのほうに向きなおった。
「オリヴィエ様・・・素敵・・・素敵ですけど・・・・ここではこんなコートとかブーツとか、着る時ないですよ?飛空都市はいつだって穏やかで暖かなんですから。ものすごく寒いところへ行くんじゃなきゃ・・・・」
「だから、行くんだよ!」
「誰が?」
「アンタと私」
「私とオリヴィエ様・・・が?」
手にしていたビロードのドレスが床にぱさり、とかすかな音をたてて落ちた。


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