青は遠い色

最終章

「すべては自らに帰ります。誰も何も罰してなどくれない。いいえ、たとえ罰を授けてくれると言われても、それで罪は消えない。そんな罰をただ待つ暇があるのなら・・・罪を抱えたまま前を行きましょう、マニエラ」
　この出逢いを、この恋を、互いの存在を。幾度でも振り返って、この身の内に蘇らせて。それでも前を行くことが、強さ。
「自分を偽った罪の烙印は・・・もうはっきりと押されてしまっているということですね、リュミエール様」
　見ないふりをしても、忘れようとしても、償いを終えたとしてもそれは消せない。
「そう、あなたにも私にも。同じ烙印があります。しかしこの印は私達が血の通った人間であるという証でもある」
　現実は理想と違って人を傷つける。でもずっとましだ。苦しみが無い世界でどうやって自分を知る？理想を追いつつ現実に身を起き、それによって苦しむことが、人が唯一自分の存在を意識する手段ではないのか？苦悩があってこそ、自分はそれを越えようとあがく。
　
　
　生きてる感じするでしょう？ 　
　
　ああ、本当に。今自分はこの鼓動を感じる、手応えを持って。聖地での気の遠くなるような長い長い時間、自分はただ終わりを待つだけでなく先を見る。
「・・・守護聖が罪人であるなど、大きな声では言えないことですけれどね」
「いいえ、リュミエール様。罪人には未来があります、過去を褒め称えられ崇め奉られる聖人君子よりもずっと」
　マニエラは微笑んだ。素直で、あどけない、あの笑顔で。
　
　
「リュミエール様・・・。私・・・もう一度絵を描こうと思います」
　マニエラはリュミエールを見る。
「ずっと絵筆を離れていたから、きっと以前のようにまで戻れないかもしれません。でもこの指は動かない訳ではありませんもの。この指、この今の私にしか描けない絵があるんじゃないかって、そう思うんです。それに何より」
　今、この身には足りないものがある、伝えたいことがある。
「描きたい気持ちが不思議と湧き出してきます。この想いをキャンバスに写したら、どんな絵になるのか、私自身が一番知りたい」
　彼女の声が一段大きくなった。
「出来上がったら、リュミエール様・・・見ていただけますか？どんなに下手かしれやしない、つまらない絵かもしれません。でも、見ていただきたいんです」
「ええ・・・ぜひ・・・！」
　彼は大きく頷いた。
「ああ、いったいどのような絵なのでしょうね」
「青・・・青い絵になると思います」
　青い・・・絵。
「海の水を手にとってみても、単なる濁った塩水でしょう？空にどれだけ手を伸ばしても、それはどこまでも透き通って。でも誰の心にも見える青がある。空も海も青い。リュミエール様の瞳の色のように。髪の色のように。そんな絵を・・・そんな青を描いてみたい」
　青はけして手に入れることのできぬ遠い色。だからこそ惹かれ合う魂の色。
「楽しみにしていますよ、心から。いつか私の元に届けられるその絵を」
　幾万も納得のいくまで引かれる中から選ばれる唯一の線。混ぜられ、重ねられ、けして他の者では作れぬ唯一の青を探して。上手く動かぬ指は時には痛みを伴うだろう。それでも描きたい絵がある。それでも伝えたいものがある。
　待っています、マニエラ。
　自分はただ待つことしかできない。けれど、彼女の指の痛みが少しでもやわらぐように、この聖なる力を聖地から送り続ける。
　
　彼はこの時、自分が水のサクリアを司る者で良かったと、初めて思った。