青は遠い色             第一章

 窓からはただただ緩やかな丘陵が広がっていた。とりたてて見るべきものなど何一つない。が、リュミエールはずっと、壁に肩をあずけるようにして、その景色を見入っていた。ときおり微風が頬をなでる。
 視界いっぱいの緑が、空の頂点に差し掛かった太陽の陽射しを受けて瑞々しく光る。美しい花々はなくとも、何が起こる訳でなくとも。不思議といつまで見ていても飽きない。
 そんな彼の耳には、先ほどからずっと不快な雑音が響いている。これさえ無ければ、もっとこの景色をゆったりとした気分で楽しむことができるのに。思索に耽ろうにも、かように騒がしいのでは悟りの境地に達した賢者であろうと無理なことに思えた。彼はそっと、横目でその「雑音源」に視線をやった。
 
「オリヴィエ、その匂いなんとかならないか?狭い場所でそういうことされると気分が悪くなる」
 オスカーは向かいの空席に投げ出した足を、半ばやけ気味に荒々しく組み直した。その拍子にオリヴィエの身体に軽く膝が当たった。
「・・・ああっ!はみ出しちゃったじゃないっ!!んもう、退屈しのぎにカラむのやめてくれない。ちゃーんと窓だって開けてるじゃない、これでも気ぃ遣ってんだけど?」
 オリヴィエが長く整えられた爪を憎々しげに見つめながら、わざとらしく大声で言った。苛立っているのは彼も同じだった。オスカーは大袈裟なアクションで窓を顎で仰ぐ。
「走ってるならともかくな、この状況で窓開けてるのに、どれくらいの効果があるっていうんだ」
 
 極めて珍しく与えられた休暇を過ごすために、オスカー、オリヴィエ、リュミエールの3人はとある惑星に来ている。できるだけ聖地と違った空気、聖地に無いものを堪能しよう。事前に決めたのはそれだけだった。数多ある中から行ったことのない星を適当に選び、聖地に戻る日のみを言いおいて。特に行く先も決めず、気が向くまま風の吹くまま、その時々を気分で過ごそう。日頃あまり聖地から出ることのない彼らには、それだけで十分に心浮き立つ計画であった。
 この惑星に着いてのち、長距離列車に乗ることを提案したのは誰だったか。この惑星に何があるかなどもとより知らない。行くあてなどないのだ。旅の目的にこれほどぴったりの移動機関はなかった。気楽に旅ができるようコンパートメントのチケットを取り、実際快適に旅は進んでいた。だだっ広い平原の真ん中で、列車が車輪を止めるまでは。


「なぁんでワタシが列車の故障まで怒られなくちゃなんないのよっ。大体、もともとこの旅行の企画ってばアンタがしたんじゃない、それを・・」
「『企画』なんざしてない、暇そうだからつい気の毒になって誘ってやっただけだ、言うなれば社交辞令ってヤツさ。俺様の広い心には自分で涙が出るな」
「ああら。そーゆーこと言うわけ、アンタって。・・・知ってるんだからね?」
 オリヴィエはとうとうと語り出した。オスカーが当初は別の、しかも女性とこの休暇を予定していたこと、それが寸前で白紙になったこと、それでオリヴィエとリュミエールに話を振ったこと。
「畳み掛けるように私らも断っちゃフラレ男にあんまり可哀想だと思ってさぁ、こーして付き合ってやってんだよ?」
 オスカーはそっぽを向いている。図星だったらしい。
「せっかくのオフ、アンタとなんか一緒でなくたって。ねえ、リュミちゃん」

 リュミエールは、手にしていた本を読む振りをして、オリヴィエの言葉を無視した。日常を遠く離れた旅先でまで、くだらない言い争いに参加する気などにはなれない。しかしオリヴィエはしつこく話しかける。
「・・・ねえ、リュミちゃん、リュミエールってば!そんなにその本面白い?」
 リュミエールは仕方なく、ゆっくりと顔を上げた。
「・・・ええ、とても、ね」
「皆で旅行してるのに、本とか読んでるなよ。盛り下がるだろう?」
 既に二人のお陰でこちらの旅行気分が盛り下がっていることなど、露ほども考えていない態度に、静かに顔を歪ませる水の守護聖。
 悪気の無いことはわかっているし、この状況下、彼等の苛立ちも理解できないこともない。だが。
 そこまで考えて彼は思索を打ち切った。あやうく二人のまき散らす不穏かつ低レベルの雰囲気に巻き込まれそうになった自分を振り切るように、彼の視線は、再び窓の外の動かぬ景色に向けられた。
「・・・・列車が止まってからどれくらい経ちますか・・・もう昼ですね」
 最後に過ぎた駅は随分と大規模で、そこがけっこうな都市であることを容易に想像させたが、ほんの少し行けば見渡す限りの豊かな平原。すっかりその躍動を止めた車両の先に見える線路が、遮るもののない太陽光を浴びて眩しく強く光りを反射している。
「地平に消えている線路の先がこれからどのように変化していくのか、知る者はここにはいません。列車が動いている時は未知の世界に胸躍らせていたはずなのに、ひとたび立ち止まると同じ事実が不安に変わる・・・なんと人は身勝手なことでしょう」
 自戒するように目を伏せる。
「あなた方の、そんな醜い争いを目にするのなら・・・聖地に残って居た方が良かったという気がしています。せめて風がもう少しあれば、新鮮な空気があなた方の苛立ちを連れ去ってくださるのかもしれませんが・・・世の中はとかくうまくいかない・・・」
「・・・ちょっと・・・大袈裟じゃない?」
「いいえ。少しも大袈裟ではありませんよ、オリヴィエ。本来ならば日常を離れ、ともに親睦を深め、楽しい時を過ごせるはずなのに、このような事態に陥って。・・ああ、私は今でも十分に楽しんでいるのです、この旅を。唯一、あなた方ふたりが私と同じ気持ちを分かち合ってはくれないというそのことが、私にとっては辛く哀しい。ともに旅をして、同じ景色を見ているというのに」
 リュミエールはこの世の終わりを思うかのような深い深い溜息をつく。いきなり饒舌に自身の心情を吐露する水の守護聖を前に、オスカーとオリヴィエは先ほどまでの勢いを失っていた。お互い横目で様子を伺いながら、『このような事態』を招いた責任を転嫁しあう。
 そんな彼等はいないもののように、リュミエールは続けた。
「オリヴィエの言うとおり、何もこの3人で敢えて旅に出る必要などなかったのです。ただでも長い時を共に過ごすことを余儀なくされている運命なのですから。・・・なのに何故ここに私はいるのか・・・。いつもとは違う景色、違う空気の中、改めて与えられた運命、あなた方との関係性に何か新たなものを見いだせるかもしれないという気持ちもあったのに・・・それなのに・・・このままではこの旅を後悔してしまいそうな自分を」
「だーーーーーーーっ!悪かったっ!」
 永遠に続くとも思える独白を遮ったのはオスカーだった。彼はやにわに立ち上がる。
「すまん、リュミエール。俺達が悪かった、謝る」
 そう言いつつ彼の頭には謝罪の気持ちよりもこの鬱陶しい状況の回避しかなかった。
「・・・オリヴィエ、ラウンジにでも行くか?気分転換して、本来の友情をだな、確かめあって・・・」
「そ、だね・・・。これ以上面倒くさ・・・いや、迷惑かけちゃいけない」
 オリヴィエも複雑な笑顔を浮かべながら、促され立ち上がる。
 この列車は幾昼夜もかけてかなりの長距離を行き交う路線で、一等の客の為にはラウンジ専用の車両もついていた。寝台付のコンパートもあったが、狭い場所で眠るのは嫌だと主張したオリヴィエによって却下された。
「気持ちが落ちついたら戻ってくださいね。ここは寝台は無いのです、いずれ降車しなければなりませんし、私もせっかくの旅先で一人でいるのは心細い気持ちも致しますから」
 悠然と微笑むリュミエール。その美しい優しげな顔に確信犯の3文字が書いてあるのを見て取り、二人は無言で肩を落とした。
 オスカーはこの一方的な負け試合に終止符を打つかのように、やや荒々しくコンパートの扉を引いた。
「おおっと!」
 危うく突き飛ばしてしまうところだった。扉の前に人が立っていたとは思っていなかったオスカーは即座に詫びる。
「申し訳ない、お嬢さん」
「いいえ、私のほうがいけないんです!ごめんなさい」
 愛らしく元気な返事がすぐさま返った。
「このコンパートに何か用?」
 オリヴィエの問いに、慌てて答える。
「あの、本を・・・」
「本?」
「ええ。本をなくしちゃったんです。さっきここを通った時に一度カバンを落としてしまったので、その拍子じゃないかと。・・・ご存知無いでしょうか?」
 そのやりとりをオスカーとオリヴィエの背後で聞いていたリュミエールが、口を挟んだ。
「それならば・・・この本ではないですか?」
 オスカーとオリヴィエが道をあけるように戸口の両脇に避けた。リュミエールの目に、ようやっと小柄な若い娘の姿が映し出された。
「・・・ああ、それです!ありがとうございます!!」
「なんだ、それリュミエールの本じゃなかったのか?」
「駄目じゃな〜い、他人のもん勝手にネコババしちゃ〜」
「誤解しないでください、着服したつもりは無いのです。その方が言うとおり、このコンパートの前に落ちていて、そのままにしておくと通行の客に踏まれたりしてしまうと・・・」
 慌てるリュミエールを制するように、オスカーが言った。
「言い訳はゆっくりさせてもらおうぜ、リュミエール。せっかくの来客を戸口にいつまでも立たせておくのは失礼だ。しかもこんなに魅力的なレディとあってはな」
 彼はとびきりの微笑みを彼女に向けて、大袈裟に右手を払い室内へ彼女を促した。
「お時間許すのであれば、ぜひ」
 すっかりいつの間にか、3人険悪なムードだったことも、ラウンジに行くはずだった予定もオスカーの頭から消えていた。
 


 
「ご友人3人でご旅行なんですか。それはとても素敵」
「残念ながら素敵なことなど何も無いぜ、ヤロー三人で顔付き合わせてたってな」
 水を得た魚のように生き生きと、饒舌になるオスカー。
「列車も止まったままで、退屈していたんだ。そんな俺達の前に、レディの登場・・・まるで救いの神が使わしてくれたエンジェルのようだ・・・」
「寒ーい!」
 オリヴィエがわざとらしくリアクションする。
「ほらぁ彼女だって引いてるよ?ごめんねえ、このヒトちょっとこういうとこ病気だからねぇ、無視してやってくれる?」
「無視しろとは酷いな、オリヴィエ。それはお前が決めることじゃない」
「アンタがショックじゃないように、彼女がきっぱり判断する前に予防線張ってやってる友情がわっかんないかなぁ?鈍感なんだからーもう」
 丁々発止の二人の会話に、少女はいかにも楽しげな笑い声をあげる。
 なんと屈託なく愛らしい笑顔だろう。初対面だということも忘れそうになる。リュミエールは先ほどとは打ってかわって穏やかな調子でオリヴィエとオスカーをたしなめてから、彼女に微笑みかけた。
「騒がしくて申し訳ありませんね。あの、差し支えなければお名前を・・・」
「マニエラと言います」
 彼女は明朗な調子ではっきりと自己紹介した。
「あなた方は・・・?他の惑星の方ですよね?」
「ええ、私はリュミエール。で、私の友人で、オスカーとオリヴィエ。主星からともに休暇を過ごしに」
 オリヴィエとオスカーが、リュミエールの紹介に会釈を添えた。
「やっぱり!!!!」
 途端マニエラのグレイの瞳が輝く。
「私の聞き違いじゃなかったんですね、そのお名前!」
「え?」
 3人の心中に瞬時に動揺が走った。
 聖地や女王の存在に関しての認識は、惑星によって実に様々である。架空のもの、概念的なものとして認知されている星もあれば、実際彼らが公務で訪れるほどに聖地と密接に関わりをもっている星もある。どちらにしろ、やはり自分たちの身の上はそうそう軽々しく明かすべき事ではない。騙すつもりはないが明かさずにすむのなら、というのが本音だった。
「・・・やっぱり・・・というのは?」
 リュミエールが恐る恐る聞き返すと、彼女の顔はいっそうほころんだ。
「だって揃いも揃って守護聖様と同じお名前!!いえ、会話の中で既に気付いていたんですけど、私の思いこみでそう聞こえるのかと思って。まさか3人ともなんて、って」
 どうやら同名に驚いているだけのことらしい。胸中に安堵が広がる。
「・・・・それともニックネームか何かなんですか?」
「いえ・・・そういう訳では」
 知らず声がくぐもるリュミエールであった。
「本名だけど、単なる偶然。ありふれた名前だしねー」
 なんら変わらぬ様子で即座に返答したのはオリヴィエだった。彼はこういう場合の対処に長けている。
「素晴らしい偶然です!たとえ単なる同名でも、お三方も揃うとそれだけでなんか感激しちゃう!」
「同じってだけだぜ?お嬢ちゃんの笑顔を見るのは嬉しいが、こっちが申し訳なくなる。大体、守護聖の名前なんて知らないヤツだって多い」
 オスカーが高笑いする。
「・・・残念なことだわ、この宇宙の、そして自分たちの成り立ちに興味が無いなど」
 マニエラは聞こえるか聞こえないかといった小さな声で呟くように言った。そして顔を上げた。すでに今までの笑顔に変わっている。
「私、子供の頃からすごくそういうこと考えるの好きなんです、聖地のこと、女王陛下のこと。・・守護聖様のこと」
「ふふ、子供の頃って、今だってそうは変わらないようにも見えるけど。多く見積もったって17・8、でしょ?」
「次の誕生日には19です!!」
 彼女はオリヴィエの言葉に憤慨していささか頬を膨らませている。そして言った。
「・・・誕生日、来年だけど」
 3人は顔を見合わせ、思わず吹き出した。コンパートは新顔を加え、今までの空気をすっかり一変させていた。


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