passage         
05


 いかにも払い下げといった、動くのが不思議なほどの風情のバス。ところどころ綻びのあるシートに、ジェイムズ・スチュアートと私は並んで座る。
 バスは結構混み合っていて、座席移動や乗り降りする客が通路側に座る私の肩に何度もぶつかった。バスは何もない一本道をどこまでも行き、何もない場所で止まっては一人二人を乗せ、降ろした。
 隣に座る呑気な横顔ごしに見えるどこまでも広がるクローバー畑。年老いた馬が、青草を山と積んだ大きな荷車を引いている。農夫が鞭をくれると、馬はすぐにバスのために道をあけた。
 あの時は、あんな馬車に乗せてもらってあの村へ行った。それが今は古ぼけたバスになっただけだ。本当に何も変わってはいなかった。

 横のスチュアートはかまわず話しを始めた。
「僕の叔父がサンフランシスコで古美術商をやってて。ヨーロッパに買い付けに来たりとかよくしてるんですよ。で、仕事先で聞いた奇妙な話ってことでこの村のことを聞かせてくれたのが最初なんです。随分前です、僕がまだジュニアハイとかそのくらい」
 随分前と言ってもたかだか10年ほどだろう。それでなくても彼は童顔で、一見なら高校生といっても通りそうな風貌だった。
「その頃からこの一件について調べていたのですか?」
「まさか!!そのときは聞いて、ふうん変な話だねってそのまま。ま、みんなそうでしょ?普通は」
 どうせなら、そのまま聞き捨てておいて欲しかったものだ。
「僕、大学の頃ちょっとだけ宗教学とかもやってたんで、資料探しも兼ねてローマ旅行したことがあって。そのとき、ほんとその話思い出したんですよ…で、ついでみたいにバチカンの資料庫にこの当時の、ソニエール神父の記録を閲覧しに行ったんです。そしたら!」
 そんなくだりは記事にはなかった。
「…どうだったんですか」
 私が聞くと彼は自慢げににやりと笑い、わざとらしく声を潜めた。
「無かったんです」
 …無かった?
「彼の記録の一切、まるで無し。彼が赴任していた期間、レンヌ・ル・シャトーには司祭がいなかったことになってました」
「…え?」
「おかしいでしょう?バチカンには古今東西、すべての僧侶の名前と居所が記録されてる。千年も昔のインドの奥地ってことならまだしも、100年以内のフランスのことです。実際彼の逸話は村にはたくさん残ってる、写真だってある。それなのに!」 
 たかが田舎の一村にある写真や伝承は放って置けばいつか消え失せる、だが自分達の保有する資料は永遠。そんな自信が伺える。
 …さすがバチカン、高飛車だ。世界でもっとも高き場所にあって、すべてを掌握できると思って疑わない。彼らは神に仕えている者なのか、それとも自ら神でありたいのか、私にはわからなくなるときがある。
「で、多額の金の存在。最初に叔父から聞いた話ではね、教会の地下から財宝が出たんじゃないかって話だったんです。よくあるでしょう?そういう埋蔵金伝説。でも僕の読みでは“宝”はそれそのものじゃなくて…データの類だったんじゃないかと」
 あの4枚の羊皮紙。暗号のような文書。
「そのデータを元に…神父はバチカンを脅迫でもしていた、と?」
「ええ、僕はそう読んでます。まだ確証は得ていませんけどね…これからですよ、これから!今回は取材費も出てますからね、じっくり調べられます。この村の後にはローマにもまた行くし」
 あのフランソワが。ひとりバチカンを相手取って金をゆすり、その金で浪費に明け暮れ、放蕩のあげく死んだと…目の前の男はそう言っている。背後には相変わらずのクローバー畑、渡る風が窓から入って彼の髪を揺らした。

───ねえ、リュミエール。悪魔には当然問題があるけど、神についても疑問はある。そう思わないかい?


 いつだったかフランソワはそう言っていた。雨に濡れて戻って、倒れた時だ。カルカソンヌで何を言われたのかはわからない。だが、教会の修復が始まり、文書が見つかり…。彼なりにあの村の司祭として新たな動機を見つけた矢先のこと。そんな彼を多かれ少なかれ失望させる出来事があったのは想像に難くなかった。

 彼が理解しようとするたび、より知りたいと思うたび、彼にとっての“神”は遠くなるようだった。そんな彼を見ているだけしかできないことは、マリーも私も辛かった。

「今回は、どのようなことをあの村で調べるつもりなんですか?」
「神父やマリー・デナルドーのことはもちろん…今回は主にあの村にいた謎の男についてを重点的に。あの記事にもあったでしょう?」
「ああ、その当時村にいてすぐに行方不明になったっていう…」
「鍵を握るのはそいつですよ。偶然か必然か知らないけど、そいつが村に現れてからソニエール神父の人生は激変したんだ…その男が何者なのか少しでもわかれば…」
 若者は悔しそうに舌打ちした。
 確かにきっかけとしてはそうだ。その男が教会の修復を薦めたことは事実。
 私は言った。
「バッハのカンタータ、155番をご存じですか?」
「へ?…えーと…」
 急な質問に、彼はしばし首をひねったが、すぐに嬉しそうに膝を打った。
「《わが神よ、いつまで、ああいつまでか》でしたっけ」
「good!さすが大学で学んでいただけのことはある」
 面食らう彼に私は微笑んだ。
「『信じよ、望みを持て、やがてその時がくる』…信じる気持ちがまず大事だということですよ」
「…ああ、リュミエールさん、ありがとう!僕、絶対突き止めてみせます、期待しててくださいね!」
 彼はあの屈託のない笑顔を向けた。
 そう、諦めるにはまだ早い、“そいつ”はあなたの目の前にいるのだから。
 バスが揺れるリズムにのって、私の耳には『Blue Suede Shoes』が鳴り響いていた。

1つめは金のため、2つめはショー
3で用意が出来たら、さあ、行こうぜ みんな
俺を殴りたきゃ殴れ 顔を踏みつけたかったらそうしろよ
町中に俺の悪口を言いふらしてもいいさ
したいようにすればいい

 プレスリーの音楽は、私にとっては少々騒がしすぎて敬遠する気持ちのほうが強かったが、今はバッハよりよほどしっくりくる。

ああ でもハニー 靴は踏んづけないでくれよ
何をしたっていいけど 
この俺の青いスエード靴にだけは かまうな

 プレスリーにはブルースエードシューズ。この若者にも私にも。フランソワやマリーにだって。人は誰しも信じて譲れないものがある。

 

 私達は、バスを降りた。そばかすだらけのJ・スチュアートは新鮮な空気を深呼吸しながら大きく伸びをした。
「こっちの道をずっと行くと村の入り口ですよ」
 大きな布鞄を肩に背負い直し、彼は足取り軽く先を行った。
 村の近くになると以前の記憶と較べてしまうせいか、印象が随分違うように思えた。…道のせいだ。石だらけで荷車さえ行くのが困難だった道がきれいに舗装されていて、私には不自然に浮き上がって見えた。
 村へと続く道の先を見やると、視界の端に大きな木がうつった。
「ああ、楓だ…」
「楓?へえ、あれが。メイプルシロップ取る木ですよね?」
 ありふれて、珍しくもない。だが私にはひどく懐かしい。昔と変わらぬ場所に、変わらぬ姿でそれは立っていた。



「何か特別な木でなければいけないんですか?」
 マリーは私に質問した。
「いえ、特には。楓の木は知ってるでしょう?あれなど裏板に最適です。表板と魂柱に使うのはスプルースという木なのですが…そうですね、あの木はスプルースだ…あのくらいだと樹齢も十分で、さぞかし良い木が取り出せそうです」
 私は窓から見える、大きな針葉樹を指した。木を探して旅をしているなどと言ったから、まさかそんな間近にあるとは思わなかったのだろう、彼女は目を丸くした。
「だったら木こりのペローさんにお願いしたら…?リュミエールさんが欲しがっていると言えばきっと喜んで…」
「まさか、あんな大きな木を私ひとりの為に切り倒すわけにはいきませんよ!それに切ったばかりですぐには使えません…何年も乾燥させないと」
「そうなんですか…」
「すみません、言葉が足りなかったですね。私が探しているのは“バイオリン用の製材”だ、と言えばよかった」
 バイオリンの、しかも木材の話だ。面白い話とは思えない、だがマリーは今までした話…たとえば異国の旅話などよりよほど興味を持っている風に見えた。いろいろ質問を投げかけてくる。
「…表板にはスプルース、裏板には楓。この部分には黒檀かツゲ…」私は紙とペンと取り、彼女の質問にできるだけわかりやすくと、簡単なスケッチを書き添えながら説明した。丸太からどのように製材を切り出すか、木目の重要さ、木材の乾燥具合など、どのようなものが良しとされるかを、彼女は熱心に聞き入っていた。
「200年300年と保つような良い楽器は、良い木からしか生まれない。まず良い木との出会いがあって、そこから全てが始まるんです」
「出会い…」
「そう。むしろ私が探しているのではない、木のほうが呼んでいるんです。そんな木は、見ればすぐにわかる」
 私だけが見える姿をして、私にだけ聞こえる声で。出会うなり私の魂にじかに触れてくる。
「旅に出ては幾度もそうした木と出会い…そしてその度、木の望む音の姿を取り出すべく全力を注いで作るのです。結果、どれだけ力及んだかはわかりませんが」
「わからないって…リュミエールさんにもわからないんですか?」
 不思議がるマリーに私は言った。
「ええ、わかりませんよ。私がどれだけのことが出来たか、答えが出るのは…200年後」
 それまでに壊れてしまうかもしれない、音がするなど忘れ去られたかのようにどこか奥深くしまいこまれてしまうかもしれない。相応しいプレイヤーの手で至上の音楽を響かせる、そんな幸福な運命を辿るバイオリンはごくわずか。
「ああ…なんて気の遠くなるようなお話なんでしょう…!」
 彼女は目を閉じ深くため息をついた。
「それでは、やはり何でもいいというわけにはいきませんね」
「ええ、残念ながら。でも信じていれば、いつか必ず出会えるものです」



「リュミエールさん!どこ行くんです?教会はそっちじゃないですよ」
 二股に別れた道で、私は彼に呼び止められた。
「え、ああ…すいません。考え事をしていたもので」
 私がこの村を出た後、いろいろ変わったのだろう。昔はこちらからのほうが近かった。
「意外ととぼけた人なんだなぁ、まるで知ってるみたいに迷わずそっち行っちゃうからびっくりしましたよ。初めてなのにどんどん先歩くし」
「…初めてとは誰も言っていませんよ」
「は?何ですか?」
「さあ急ぎましょう、なんだか一雨きそうです」
 空は曇って風もある。だが湿気が増しているのか、いやに汗ばんだ。私達は黙って先を急いだ。

 

 私の住んでいたころの教会の姿は面影のひとつさえ残していなかった。見上げたまま立ちつくす私をそのままにして、スチュアートは手早く教会の司祭に見学の許可を取った。
「リュミエールさん、話つきましたよ。好きに見てっていいって。…それともまだ外観を見てますか?」
「あ、いえ…行きます。あなたは?無理にご一緒してくださっているのなら」
「別に無理してないですよ!で、どこから見ます?結構広いですからねえ、ここ」
 どこから。昔とは大違いだ。以前はどこからもなにも、全てひとつにまとまっていた。
「…では、礼拝堂を」
 何故かまず、礼拝堂が見たかった。


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