僕等は風の吹く方角へ行く         
04


 俺達はコートの襟を立て冷たい風をやり過ごしながら間抜けに並んで座っている。手にホットチョコレートのカップが無ければ、家に居場所の無い老人か、はたまた浮浪者とそう変わりない姿だ。俺達の会話は盛り上がるどころか途切れがちで、そのやっと成立する話題でさえ単なる世間話にすぎなかった。
“酒が作り出した友情は、酒のように一晩しかきかない”
 オリヴィエと俺にしても、偶然に出会ったからこうしているだけで、十分にその程度の間柄だ。この格言風に今の状況を言うなら「ホットチョコレートが湯気をたててる間は、その湯気のような再会を暖め合うことができる」、さしずめそんなところだろう。そして真冬のパリは寒い、湯気など瞬く間に風に飛んで消えていった。
 だが、不思議とヤツは腰を上げようともしない。
 別に知り合いの無い旅の男を気の毒がってつきあっている親切ごかしなところもなく、かといって(そんなもの俺相手に画策したところで意味はないが)そこに何か裏や打算がある風でももちろんない。
 昼間は呑気にアイスクリームをとりわけていて、夜はあの調子で妙な“付け爪”をして派手に着飾って遊び歩いているような男だ。どういう人物なのかとあれこれ想像したところで無駄な気がした。大体、俺も人のことは言えた義理じゃない。
「アンタ、いつまでパリにいるの?」
「特に決めてないな。明日でもかまわないし…ま、適当だ」
「ふーん、見かけによらず呑気だね。英国人ってみんなそんなカンジ?」
「さあな。イギリスに住んでるからって全員“英国人”なわけでもないしな」
「そりゃそうだ。人はみんな違う、間近で見るならね」
 わざとなのか無意識なのか、この男の言い回しはいつもどこか意味ありげだった。
 オリヴィエは不意に顔を上げた。
「…あ、もしかしてアンタまだエッフェル塔登ってない?」
「ああ」
「じゃ、行こう」
 そう言って俺の返事も聞かずにヤツはおもむろに立ち上がった。
「あ、そうだ。ものはついで…リュミエールも誘ってから行こうか」

   

 物事はそうそう都合よくは運ばない。わざわざ遠回りをして足を運んだホテルであったが、相手は出かけていなかった。
「えー。いないの??寝てるんじゃなくて?」
「はい、26号室のお客様でしたらお出かけになられております。特にご伝言もいただいておりません」
 フロント係の中年男は部屋番号のついたカギを見せ、淡々と事実を述べた。
「あっそう」
 オリヴィエはあからさまに不満そうな顔をする。それがホテルマンの態度に対してなのか、リュミエールの留守に対してなのかはわからない。ただ、どっちにしろアポイントも無しに来たほうが悪いに決まっていた。
 あの男は俺と違って用事があってパリに来たのだ。留守であっても不思議はない。俺はすでに面倒くさくなっていて、ホテルのロビーを見渡したりしていた。
「仕方ないわね…じゃあ、オスカー。ちょっと早いけど、買い物でもしてりゃ時間つぶせるでしょ。アンタのホテルで先に待ってよ」
「えっ」
「何?そんなに今行きたかった?そりゃ行ってもいいんだけど…なんかこういうのって萎えるじゃない、ケチがつくっていうかさ。物事はタイミング…」
「いや、そうじゃなくて!」
 俺の言及したい点はそこじゃない。“アンタのホテルで先に待って”…?
「覚えてないの????」
 そう言われるのは二度目だったが、今度は俺も言い返す。
「何をだ!」
「何って、今夜は三人でアンタの部屋で飲むんだって昨日決めたんじゃない!」
 知らない。断じて聞いてない。だがオリヴィエが言うには俺のほうが誘ったという。
「……………俺を騙そうとしてないか?」
 オリヴィエはこれみよがしに、深く深くため息をついた。
「バカじゃないの」
 俺は黙るしかなかった。俺が反対の立場だったら一言一句違わずに同じ台詞を吐いたはずだからだ。

 

 クリスマスを祭りとして楽しむ傾向は、ここ最近…イギリス的に言えばヴィクトリア女王の代になって急激に普及したものだ。何も皆がこぞってパーティなんぞ開かなくてもいいと俺は思う。騒ぎが好きなやつは、どうしていつも理由を欲しがるのだろう。やりたければ毎日だって、好きにすればいいのだ。
「いいじゃない、どうせ用なんか無いんでしょ」
 七面鳥を選ぶほうが重要事だと言わんばかりに素っ気ない答え。しかし俺はイブに野郎同士で七面鳥を食うのだけは御免だと、わざわざ海を渡ってまでここにいるんじゃなかったのか。
「あ、そ。じゃ、フォアグラにしよ。そっちのがワタシもいい」
 肉のショーケースにはさっさと見切りをつけ、混み合う店の通路を我が物顔で歩くオリヴィエに俺はついていくのがせいいっぱいだ。オリヴィエは値札も見ずに棚から様々なものを選んでは俺に渡した。俺の腕は見る間に品物でいっぱいになり、缶詰のもうひとつも積まれたらすべては店の床にばらまかれること必至だった。
「…だから…」
「ああ、なんだっけ…ワタシの予定?」
 確かに俺には用事なんざ無い。だがオリヴィエにはあるだろう。今日はイブだ。このとおり店だって溢れんばかりの人だし、その顔は皆今夜の予定に浮かれている。
「ったく、イブだなんだとこだわってるのはアンタの方と見える。別にどうでもいいじゃない、そんなの」
 まったくその通りだ。俺が気を遣う必要などひとつもない。むしろそっちが少しは気を遣うべきだ。俺がこんなに不自由な状況だというのに、この男は気にも留めずに足早に会計に向かう。
 カウンターにたどりついて、俺の両腕はようやっと解放された。どうせその後すぐ、少々持ちやすくなった状態で同じものが戻ってくるとはわかっていても、俺は一息つかずにはいられなかった。
 気持ちいいくらいけたたましく、レジは品物の値段を正確にカウントしていく。景気良く加算され表示される金額を眺めながら、オリヴィエは言った。
「ワタシはワタシのしたいようにする、いつでもね。生まれついてそれが許されてるんだ。…そういうこと」
 生まれついて、ときたもんだ。
「はん、100年前の革命家の請け売りとは芸が無いな。…『人権宣言』だっけ?」
 オリヴィエは口の端を上げてにやりと笑った。
「悪いケド、ワタシのほうが先だ」
 雑貨屋のレジを前に大口たたかれても店員も俺も困惑するのみだ。

 

 革命家の末路を思わせる“市中引き回し”買い物ツアーがようやっと終わった。ある意味では良い市内観光にもなったが、いかんせん荷物が多すぎだ。フォアグラを買った最後の店から俺のホテルまではそう遠くはなかったようだが、俺達は賢明に、辻馬車をつかまえることにした。
 日は沈んであたりは既にほの暗い。俺はシートに身を委ねて、ゆっくりと移りゆく景色を眺めた。汽車や馬車の窓から外を見るのが好きだ。窓枠というのは景色を特別なものに見せる極上の額縁だ。どんな職人もこれ以上のものは作れまい。
 部屋の窓からもこうして風景がくるくる移り変わって見えたら退屈しないのに、といつも思う。誰かがそんな窓枠を発明したら、俺は即座に手に入れるだろう。高い絵画を飾るよりずっと楽しめるはずだ。季節ごとに掛け替える必要もない。

 イブだなんだとこだわってるのはアンタの方と見える。

 ふん。旅先で出会った行きずりの男に言われる筋合いじゃない。
「これならロンドンにいたほうがまだマシだったかもな…」
 俺は独り言を聞きつけ、オリヴィエは声を上げて笑った。
「アンタほんっとに何にも覚えてないのね。今日も同じシャンパン買ったけど…控えめにしといたほうがいいんじゃない?」
「どういう意味だ」
「ワタシも一度きりだけど。サラサーテは良い演奏家だよ、本物だ」
 おぼろげに蘇る記憶は未だ途切れ途切れだ、どの程度まで言ったかはわからない。が、この男の口調からして俺がどうでもいいつまらない余計なことを言ったのは確実だった。俺は自分で自分に絶句した。
 オリヴィエは笑いをかみ殺しながら俺を上目遣いで見る。
「今夜の約束の経緯、詳しく聞かせようか?」
「…いや、いい…」

 ホテルにつくと、ロビーにあるラウンジで、リュミエール・デフォーが何食わぬ顔でコーヒーを飲んで待っていて、俺達の姿を見つけるなり嬉しそうに立ち上がった。その笑みにも何か含みがあるように見えるのは気のせいだと、俺は自分を戒め、なかば脱力気味の気分を改めた。
 誰かの言うとおりだ。酒は楽しく飲んだほうがいいんだ。


| つづきを読む | HOME |