「オスカー・・・ひとつ聞いても良いでしょうか」
 リュミエールが、口を開いた。
「ん?なんだ?」
「ディア様に気持ちを伝えてここを共に去る、というような事は・・・考えないのですか?」
「それは私も聞きたいね。今はエリオット様もいないし・・・ディアがオスカーの気持ちに応えてくれるって可能性もあることはある」
オリヴィエも、リュミエールに同調する。
「おいおい、二人とも・・・・この期に及んで煽るのか?」
オスカーはグラスの酒を一口口に含んだ。そして、しばし考え込んだ。だが、上手く言葉がみつからない。オスカー自身、このことに関してまだ冷静になりきっていないのかもしれない。

(俺はディアと・・・どうなりたかったんだろうか・・・)

「そんなに考え込むこともないんじゃない?別に決断迫ってる訳じゃないわよ」
「もちろんです、オスカー。言いたくないこともあるでしょうし」
 リュミエールは気遣った。オスカーの様子を見て、自分の言ったことが出すぎたことだったような気がしていたのだ。
「リュミエール、別に言いたくないとか、そういうことじゃないんだ。上手く言えんが・・。気にすることはない」
「なら、良いのですが。いつも女性に対しては押しの強いあなたが、何も告げずにいるのが少し不思議な気がしたもので・・・。ディア様への気持ちは真実だったのでしょう?」
「ああ、勿論だ」
 オスカーは空を仰いだ。星が瞬く。
「ただ・・・いつもとは違うんだ。ディアへの想いは・・・今まで感じたものとは」
 オスカーは快活で饒舌な男だ。いつだって自分の思う事ははっきりと口にするし、臆したり口ごもったりすることはあまりない。オリヴィエもリュミエールも、こんなオスカーを見るのは初めてだった。目の前の炎の守護聖は、言葉を選びかねている。グラスに添えた指先を落ちつかなげに動かしながら、何かを言おうとしては言葉を飲むのだった。

 三人の間に沈黙が流れた。が、誰もその沈黙を重く受け取る者はいない。オリヴィエもリュミエールも、オスカーのことをゆったりとした眼差しで見守っている。
 オスカーがやっと口を開いた。
「ディアの告白を聞いている時、俺は何もかもがとてつもなく憎く思えた。エリオット様のこと、あのオルゴールの存在、そんなものに今もなお引きずられているディア・・・。オルゴールを壊したいと思ったのは、場を制する為でも何でもなくて、本当に本心からさ。こんなものがあるからいけないんだと。・・・子供だな、まるで」
 話し始めるうちに、彼自身無意識のうちの行動が意味を持つものに変わっていく。
「ただ・・・オルゴールを壊しても、それは形が無くなるだけだ。何が変わる訳じゃない。いつもの俺だったら、どんな慰めの言葉より千のキス、くらい思って強引に抱きしめただろうな。それが例えいっときの熱いお茶ほどの安らぎでも、それでもいいんだと言い聞かせながら。でも・・・・そんなことは単なる俺の傲慢なんだ。何故か今日は、そう思った。ディアの苦しみに触れることができないように、ディアの体にもまた触れることはできない。形だけでは、意味はないんだ。それに気付いた時、俺とディアには用意された物語が無いとわかった。手ひとつ取りはしないうちに終わる恋もあるのさ」
 さきほどまでそんなことには少しも気付いていなかった。なのに、今はまるで百年も前からの信念のように、簡潔に自分の気持ちが言葉にできる。向かい側にオリヴィエとリュミエールがいるだけだというのに、わからなかったことがわかる。不思議なものだ、とオスカーは思った。
 そしてゆっくりと、空を見上げて呟くように言った。
「ディアが言ったんだ。エリオット様のことをいつも・・・こっちを向いてはくれないかと想って見つめていた、と。ただそれだけで良かったと。エリオット様の眼差しの先にあるもの、それに自分はなりたかった、とな。俺は・・・・そういう気持ちが痛いほどわかる。俺の自由にならなくてもいい・・・ディアの力になれればそれで満足だった・・・何もできなかったけどな」
「そういうことなら」
 オリヴィエが手にしたグラスを置き、言った。
「・・・そういうことならアンタは十分役に立ったと思うよ。何もできなかったなんてことはない。封印されたままだった哀しい恋心は、炎の守護聖によって解き放たれたんだからさ。オスカー、アンタ立派なもんよ」
「はは、そうか?単なるフラレ男の予防線かもしれないぜ?・・・みっともない言い訳だ」
 そう言って笑うオスカーに向かって、リュミエールは諭すように言った。
「私はそうは思いませんよ。あなたは強い・・・オスカー。その強さが逆に私を不安にさせるほどです。次はあなたが解放される番なのかもしれません。あなたは強さを司る守護聖。だからといってあなたがそのサクリアに縛られることは無いのです。時には揺らぎ、時には自分の中に弱さを見ても、それは悪いことでは無い筈です。私達は・・・完全無欠ではないのですから」
 水の守護聖の落ちついた声はオスカーの耳に、そして心に染み渡った。

「そうそ、リュミエールの言うとおり。素直になりなよ。奪って独占するだけが恋愛じゃない。ふたり見つめ合って未来永劫暮らすことだけが恋愛のゴールじゃない。落とした女の数が自慢の宇宙一のプレイボーイが純情な片恋したっていいじゃない」
 オリヴィエの言葉尻をとらえて、オスカーは少々いきり立った。
「数自慢とは失礼だな。俺はレディに対してはいつも尊敬をもってだな・・・・」
「オスカー、照れることはないですよ。十分理解しているつもりですから」
 こともなげに言ってのけるリュミエールに、オスカーはなおのこと恥部をさらけだしたような気分になった。この二人にはいつも、何か手のひらの上で踊らされているような気になるのだった。オスカーはやけになってグラスの酒を一気に呷った。
「オスカー、いい飲みっぷり!宴もたけなわって感じね。・・・うーん何か足りないわ。リュミエール!あんた一曲なんか弾いてよ〜」
「オリヴィエ、私はあなたの専任の楽師ではないんです!・・・いつか同じ台詞を言ったような」
 リュミエールはぶつぶつ文句を言いながら、やおら立ち上がり部屋の方へ歩みだした。ハープを取りに戻ったらしい。
「リュミエールも素直じゃないんだから・・・面倒くさい奴ね、もう」
「まあ、いいじゃないか。リュミエールのハープを聴くのも久しぶりだ」

 夜のしじまに美しい音色が響く。その旋律は誰の耳にも優しい。オスカーもオリヴィエも無言のまま、リュミエールの指が紡ぎ出す音に耳を傾けていた。曲が終わる。
「・・・聖地に来てから、何度こうしてお前のハープを聴いたかな。夜になると、よくお前は一人でハープを弾いていた」
 オスカーは聖地に来たばかりの頃に思いを馳せていた。それはもう随分昔のことに思えた。いつのまにかここでの生活も長くなった。数多の人々と別れ、様々な人に出会い、いろいろな想いを通り過ぎて・・・・。自分自身、どのくらいあの頃と変わっただろう。
「あの頃はまだ自分の置かれた立場に困惑するばかりでした。夜になるとついハープを手にとって・・・。ハープを弾くと心が落ちつくのです。弾いている間は迷いが消える・・・・」
 感慨に耽る二人とともに、オリヴィエもまた遠くの空に目をやる。
「それはみんなも同じ。リュミエールのハープには精神安定剤と同じ効果があるんだ、きっとね。よくアンジェやマルセルがあんたのハープをせがむのも、無意識にそういうものを求めてるから。あの子達なりに、きっと必死にバランス取ってるのよね・・・」
「私のハープが何かの役に立つなら、それは嬉しいことです。私達でさえ慣れたのは最近のこと。年若い者達にはまだまだ辛いこともあるでしょう。ましてやゼフェルなどは」
 そこまで言って、リュミエールは言葉を切った。ゼフェルの名を出すことで、また話を元に戻してしまうのでは、との考えが一瞬よぎったのだった。しかし、そんな彼の心配は取り越し苦労に終わった。
「ゼフェルは大丈夫だ」
オスカーのその口調は力強く、自信に満ちていた。
「あいつはもう今までとは違う。完全にふっきれるのはまだ先かもしれんがな。・・・あのオルゴールはゼフェルの心も開いた」
 オリヴィエとリュミエールは微笑んだ。少しづつだが良い方向に向かっていることが嬉しい。
 この場の心情を如実に表すかのように、いつのまにか遠く東の空が白んできた。
 長かった夜が明ける。先ほどまでの満天に輝く星々はうっすらと消えていく。

「どうやら一晩付き合わせちまったようだな、オリヴィエ、リュミエール。・・・悪かったな」
 オスカーは二人の守護聖に礼を言った。
「みずくさいこと言わないの!たまにはこういうのも良いわよ。お肌にはあんまりよくないから、そうそうはつき合えないけどね」
 オリヴィエがおどけた調子で答える。
 リュミエールは感慨深げにため息をついた。
「夜は気持ちを安らかにします。夜の闇に心を委ねて語り合うことは、お互いをより強く結びつける・・・・不思議なものですね」
「それは・・・その先に朝があるからだ。何も見えない夜の闇の向こうに、必ず光があるとわかっているから安らぐんだ、きっと。明けない夜は無い・・・誰もが当たり前に信じていることさ」
 オスカーは東の空を見据えた。

「・・・・なあに、それ。またお互いのご主人様自慢??いい加減にしてよね〜〜〜。一方的にノロケきかされるほど間抜けなものはないんだから」
 やれやれ、と言った風に首をすくめ、オリヴィエは立ち上がった。
「さあて、帰ってシャワーでも浴びよう。今日もお仕事お仕事〜」
 鼻歌混じりに立ち去るオリヴィエ。その鼻歌に促されるように、オスカーも立ち上がった。
「リュミエール、長々居座って悪かった。・・・・じゃあな」
「ええ、二人ともお気をつけて」

 今日も聖地は穏やかに晴れるようだ。鳥の声が一段と大きくなった。オスカーは両手を空にのばし大きく伸びをした。
「さあて、今日もお仕事お仕事〜・・・」

             (終)


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