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12

 オリヴィエとヨシュアは、そう広くスペースがあるわけでもないベランダにあるデッキチェアに、並んで寝そべるに近く座っていた。少しでも乱暴に動いたら折れそうな木製の古びたデッキチェアのきしむ音。あとは時折階下から小さく漏れ響いてくる談笑。
 呼ばれてはみたものの、別にここで急に盛り上がって話す気分ではない。静かな星の夜に、ゆったりと身を委ねているほうが自然だ。冷える外気に冴え冴えとまたたく星くず。ひときわ眩しく他を威圧するように光る月…。
「あれが『母星』ってやつ?」
「そうそう、近いよな。手が届きそうだ」
 ヨシュアはそれきり言って、青白くぼうと浮かんでいる母星を黙ってじっと見つめた。オリヴィエもその横顔から視線を再び空に戻す。
「…ねえ、聞いていい?」
「ん?」
「アンタさあ、なんでお金そんなに欲しいの」
「はは、変なこと聞くなあ。金はいくらあっても邪魔にならないだろ?」
 ヨシュアはそう言って軽く笑う。
 いつもの調子。反応は早いが、その実、本当のところはかわす。ヨシュアの手慣れたギミックにいつまでも気付かないオリヴィエではなかった。
「そうだねぇ。確かに」
 彼はポケットからタバコを取り出した。オリヴィエにも差し出されたタバコ、断ろうとはせず、一本を抜き取った。すかさずヨシュアが火をつける。吐き出す煙と同時に、オリヴィエはぶっきらぼうに言った。
「お金は邪魔にならないね。…オンナは邪魔になるけど、って?」
 驚いてオリヴィエを見るヨシュア。少しだけ体を起こしたせいで、デッキチェアが小さくうめき声をあげた。
「……それ、アイツがそう言ったのか?」
「いや。彼女は別に何も言ってなかったよ。でもホントのとこはわかんない、“女の勘”は侮れないからね…まして好きな男のことならなおさら」
 大らかで無邪気なネリー、だがそう鈍感でもなさそうな印象にオリヴィエには思えた。ヨシュアに何か考えがあることなど、自分にもわかったくらいだ。意識無意識、どちらにせよ。長く一緒に暮らしていて何も少しも気付かないとは、やはり思いにくかった。
「そっか」
 それだけ言って、黙る。夜の闇にタバコの煙だけが漂った。
 こういう時に、この小さなアイテムは便利だ。言いたい言葉を探す時間、言いたくない言葉を飲む時間。そういうささやかな間を、互いに気にしなくてすむ。
「この星、離れるつもりなんだ?」
「ああ。いい勘してるね」
「まあね。そういうのは、なんとなくわかる方だと思うよ」
 オリヴィエは空を見上げて、月…母星に群雲でもかけるように煙を吐いた。
「理由、聞いてもいい?」
「理由ねー…」
 彼はオリヴィエと同じ方角を見つめて、呟くように言った。
「…地図…かな」
「地図?」
 ヨシュアは頷いて、額から胸元あたりを囲む、四角を両手をつかって目の前に書いてみせた。
「こんくらいの…大きくて重たい、百科事典みたいなさ。そういう地図が家にあったんだよ。もちろん他の星の。オレさ、ガキんときからソレが好きでさ。そればっか見てたんだよね」
「ふぅん…まあ…ああいうもんは見てるだけでも楽しくなるよね。自分の知らない世界がこんなにあるんだってカンジで」
「そうそう。オレも見てるだけで十分だったんだよ。別に実際行きたいとかまでは思ってなかった、無理だろうなってのはわかるし、いくらガキでも」
 ヨシュアにつられてオリヴィエも一緒に軽く笑った。
「はは、無理でもおっきな夢見れんのはガキの特権なのに!」
「そーゆーやなガキだったんだよ」
「今でもじゃん☆」
「言ってくれる、アンタだってそう年変わらないだろ?」
 他愛なくひとしきり笑ったあといささかの間をおいて、ヨシュアが話題を戻した。
「でさあ、地図記号ってあるじゃん?」
 オリヴィエは軽く同意の頷きだけを返す。
「いつだったか地図見てて、ふたつ並んで…わかんないやつが出てきて。最初のほうに説明あったな、と思って見たら」
「顔に似合わず勉強家じゃない。で、なんのマークだった?」
「『人のないオアシス』と『干上がることの多い湖』。そう書いてあった」
 人のないオアシス。干上がることの多い湖…。
「いいだろ?皮肉っぽくて。片や人が全然来ないオアシス、片や人がやっとの思いでたどりついたら干上がってる湖だぜ?そんなのが隣り合ってるだなんて…砂漠のど真ん中で廻る、運命の輪だ」
 ヨシュアは少し口の端を上げた。
「この世界にはそんな場所があるんだって……とたんに、その言葉が頭から離れなくなった。ほんと、一目惚れみたいにね」

 遠く遠く、どこまでも遠いどこか。そこには、広い、途方に暮れるような砂の世界、おそろしくゆっくり流れる時間。土色の、殺風景な風景の中に突然あらわれる驚くほどきれいな水を湛えたオアシス。近くでは、大きな湖が何千…何万回目に干上がっている。その周りには砂の中に吸い込まれるようにして埋もれていく何かの骨。降るような星にだけ見つめられて、吹く風に煽られて。すべての痕跡を消して、干上がった湖にも何もない…オアシスにもやはり人はなく、見たこともない花が咲いては枯れるを繰り返しながら、いまだ来るはずのない誰かを待ち続ける。在るのはただの繰り返し、何事も無かったように平然とした、時間。

「…そこに、行きたいんだ?」
「そう。別に嫌じゃないさ、この村も人も。オレなりに好きではある、アイツのこともね。…ただ…ほんの少しだけ…退屈なんだ。同じ毎日、同じ顔。笑いながら冷めてソレ見てる自分にも飽きた」
 昼間、森でのヨシュアを思い出す。育った故郷、大切なものはあるはずだ。今に目に見えた不満があるわけじゃない。
 それとこれとは別なのだ。第一にくるのは「理由」でもなく「結果」でもない、ただ何かを求め見てしまう気持ち。…夢。
 オリヴィエは呟くように言った。
「その場所、今はもう無いかもしれないよ」
「あはは、昔の地図だしな。…でもいいんだ、それでも。行けば気が済む」
 彼はすっかり短くなって消えた吸い殻を無造作に灰皿に投げ入れた。
「こんな理由じゃ説得力なし?ま、オレ自身馬鹿げてるとは思ってんだけどね」
「別に、いーんじゃない」
 少なくともオリヴィエにとっては、それは説得力のある理由であった。
 行けば気が済む。行く以外に、気は済まない。そうしなければ永遠にその思いは巡る。ざらついた後味の、寝覚めの悪い夢のように。

 だったら話、面白いほうを取るよ。

 砂漠の真ん中で廻り続ける運命の輪は、自分にどんな運命を告げるか?
「行きたければ行けばいいんじゃない、アンタの自由」
「はは、ハナシわかる人で嬉しいよ」
「アンタを喜ばせようと思って言ってるんじゃないし。勝手にすればってそれだけさ」
「冷たいなぁ」
「個人主義なんでね」
 そう、どこか似てる。いつかどこかでこんな目をしたことが、自分にもある。
「ま、冷たいのはオレも同じか。不満も無いのに全部捨てようとして」
「でも思っちゃうもんは仕方ないね。『自由』にやるってそう楽じゃないワケよ」
「ははは、まったくその通り。状況だって揃っちゃいないのに言い訳してんなよって」
「そーそ。ま、せいぜいガンバって金貯めなね☆」
「………金ねえ…問題は金だけじゃ……」
 ヨシュアはしばし考えてから、いきなり体を起こした。
「なあ、頼みがあるんだ」
 真剣な声、強い眼差し。オリヴィエは一瞬ひるんだ。
「な、何」
「あの移動装置、オレにも使わせてくれ!」
「……ダメ。それはオッケー出すわけにはいかないね」
 オリヴィエの声は低く、きっぱりとしていた。
 できるわけがない、そんなこと。自分には許されていない権限。
 ヨシュアは食い下がる。
「どうしてもか?」
「どうしてもさ」
「……そう、か……。やっぱダメかぁ」
 ヨシュアはいかにもがっかりした様子で呟いた。オリヴィエには返す言葉さえ見つけられない。満天の星が、ふたりを見つめている。沈黙がただ降り積もる。

 どうなるかわからない未来、一寸先は闇。どんな運命が巨人のように行く手を阻むかもしれない。手には小石が数個だけ。勝率は極めてゼロ。誰もがかつての少年のような奇跡を手に入れられるわけじゃない。事実そんな伝説だって誰かの夢想なのかもしれない。さみしい夢、むなしい幻。

 でもいいんだ、それでも。

 深いため息が、白く儚く闇に溶けて消えた。オリヴィエは目を閉じて言った。
「…あそこさ、昨日、賊が入ってね」
「……?……」
 腑に落ちない顔でオリヴィエを見るヨシュア。オリヴィエはかまわず話し続ける。
「あの場所に勝手に入って無断でいじくったりして壊しちゃって。タイヘンだったのよね〜。旧式で超単純、けっこうガイダンス親切だしね、ヤバかったんだ。でもまあ、シンプルだったからこそ逆にすぐ直ったみたいなんだけど。…まったく“ワタシタチの知らないうちに勝手に”そういうことされると困るよ」
 言い終えてオリヴィエはヨシュアを真っ直ぐに見る。
「そう、思わない?」
 口の端だけを上げて、笑う。
 ヨシュアも笑みを浮かべた。喜びに少しだけ震える声。
「…ちなみに…起動パスワードは…?」
「超単純。そう言ったでしょ?…自分で考えな!」
「了解!」
 ヨシュアは立ち上がった。
「オレ、もう寝るわ。マイク、話聞いてくれてあり…」
「礼はいらない。じゃあね、おやすみ」
 ヨシュアは頷いて足早に去った。
「さてと。ワタシも寝るか、いー加減」
 オリヴィエは最後の名残に星を見上げる。
「あーあ。…どっちが『人の頼みをきいてそれを叶える夢のショーバイ』なんだかね」
 何かが胸をちくりと刺す。小さな痛み感じつつ、夜の闇にそう呟いた夢の守護聖だった。

 

<つづく>


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