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08

 生まれたばかりの新鮮な風が頬を撫でる心地よさに、思わず目を閉じる。が、瞼の上から光が透けて、まるで急かされるようにすぐ目を開ける。見知らぬ場所だが、何の変哲もないがゆえにどこか懐かしささえ憶える景色、薄青に遠い空。
 どんな惑星であっても、朝というのは一様にすがすがしい気持ちにさせてくれる。リュミエールは窓辺から下を見下ろした。
 ネリーの姿が目に留まる。
「そう言えば…」
 自分らのために朝は採りたての野菜を、と昨夜言っていた。リュミエールは静かに部屋を出、階下に降りた。

「おはようございます、ネリー」
「あら、ポール。おはようございます!」
 急に話しかけられ驚いたように立ち上がり振り向いてから、ネリーはまたいつものおおらかな笑顔でそう言った。
「随分早起き…寝心地悪かったかしら?うちのベッド」
「いいえ!そんなことはありませんよ。ベッドどころか、この家はリヴィングのソファの寝心地も良いと見えますし」
「あはは、ヨシュアとオスカーね?…マイクと三人で随分遅くまで飲んでたみたいだものねえ。起こすのも気の毒ってくらい良く寝てるから、悪いけど放っておいちゃった。よく考えたらお客様にする待遇じゃないわよね〜」
 放っておいたとはいえ、彼らがくるまっていた毛布はおそらく彼女がかけたもの。
「いいんですよ。まったく初めてお世話になる家で、失礼なのはオスカーのほうです。せっかくきちんと整えられたベッドが無駄になって」
「いいわよ、そんなの。それにマイクはベッド使ってくれてるみたいだし」
 オリヴィエは、少々面倒でも部屋に戻ったのであろう。
「とにかく、いいわ、みんなが楽しかったならそのほうが!」
 彼女の言葉はいつも、素直に響く。リュミエールは微笑んで言った。
「そうですね、私はネリーのあと、早々に休ませてもらったので…どのように楽しかったか知らないのですが」
「あ、そうなの?いろいろあったものね、疲れるのも無理はないか」
「ええ、でもすっかり。ありがとうございます」
「どう致しまして!」
 そう言って彼女は再び畑に視線を移し、手際よく様々な野菜を選んではもいだ。
「お手伝いさせてくれませんか?」
 リュミエールは素早く腕まくりをした。
「こうしたことは好きなんです」

 隣り合わせの作業の間、他愛ない会話を時折挟む。
 一段落ついたところで、リュミエールは体を起こし、ずっとかがめていた腰を伸ばした。
「よく丹精された畑ですね、本当に。以前はお父様がやっていらしたのですか」
「以前?」
「ええ、あなたがお世話をはじめる前は」
 ネリーはきょとんとした顔をして、リュミエールの顔を少しの間見つめた。
「…………そうねぇ、そうかも」
 そう“かも”?
 思わずネリーを見る。彼女は別段何変わりない。
 どういう意味だろう、彼女にしては返答にも間があった。しかし、彼女はまだ忙しそうに手を動かしている、問い返すタイミングを逸したリュミエール。彼は改めて問い直した。
「いえ、あなたがこうして手際が良いのは誰の御指南なのかと思って」
 ようやっと彼女も作業を終えて、腰を上げた。
「誰って…特に…。自然と憶えたんじゃない?」
「自然に…」
 そういうことも、あるのかも…しれないが。しかし。
「あなたたち、今日森に行くのよね?」
 唐突にネリーが問う声に、リュミエールははっとした。
「え。あ、はい、そのつもりですが」
「お弁当とか、いるのかしら…どういうつもりなのかしら、ヨシュアは」
「さあ…どうでしょう、特に聞いてはいませんが…でもそこまでお気遣いはいりませんよ、昼食などどうにでもなります」
「そうね、ま、後の人達が起きてきたら考えればいいわね」
 彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「でも気を付けてね、あそこにはこわ〜いお化けがいるのよ!」
「お化け?」
「そ。人食いの。あなたたち、そう言えば出会わなかった?」
「……いえ、あの」
 あの立体映像のこと、なんだろうか?リュミエールは口ごもる。そんなリュミエールを気にとめず彼女は続ける。
「昔ね、あの森の奥に入っていった人がいて、それきり帰って来なかったって。あの森には絶対近寄っちゃいけないって…それは聞かされたものよ。子ども心に怖かったわ」
「そう、なんですか。そんな話が」
「…いやだぁそんな大まじめに!迷信でしょ、きっと!」
「…ああ、迷信…」
「単なる普通の森だもの、ヨシュアがなんであそこにあんなに行くのか理解不能。埋蔵金でもあるってのかしら!」
 彼女の笑い声。リュミエールは何故か一緒に笑う気にはなれなかった。
「あなたは…行ったことはないのですか?」
 ネリーは頷いた。
「だって別に用も無いし、一応そんな噂もあるから気味が悪いじゃない。わざわざカルロスさんに目の敵にされることもないし。誰も行かないわ、村の人間は」
 そうだった。迷信だけじゃなく、あの場所は禁域なのだった。それを思えば不思議は無い。
 しかしどこか腑に落ちない。何が…いや、何もかもだ。ごく普通の会話、何も問題など無いのに…しっくりいかない。
 リュミエールはどうしてもそこが気になった。
「…よく聞かされた、と言っていましたよね」
「うん?」
「誰に、ですか」
 少しだけ低くなったリュミエールの声に、ネリーはいささかたじろいだ様子だ。
「え、誰にって………そりゃ…父さんか母さん…おばあちゃんだったかしら…?」
 彼女は苦笑を浮かべる。
「…あはは、これじゃ私の方が記憶喪失みた…あっ」
 気がそれていたのか、彼女が手にしていた庭木ハサミが一瞬の隙をついてすべり落ちた。反射的にそれを落とすまいと反応し、ネリーは瞬時かがんで手を伸ばした。
「あっ痛っ!!」
 庭木バサミは大きくはじかれ、地面に落ちる。手を押さえ、痛みに眉をしかめるネリー。
「大丈夫ですか!?」
 リュミエールもほぼ同時に身をかがめた。
 刃先が直接当たったのなら大変なことだ。彼女が抑える指先を見る。

 一瞬、どくん、とリュミエールの心臓が鼓動を打った。

 それと入れ替わりに彼女はすっくと立ち上がった。
「あ、大丈夫、平気平気。大したことないわ、ちょっと切っちゃった…もーほんとドジ」
 頭上から聞こえる彼女の声は何変わりない。見上げればいつもの笑顔だ。本当に、大したことはなかったらしい。
「…それならば良かった…でも切ってしまったのなら何か…」
「そうね、絆創膏…ってここにあるわけないわ、戻らなくちゃ」
「では、ここにあるものは私が運びましょう、ネリーは行ってください。…小さな傷でも甘くみてはいけませんから」
「じゃあ頼んでいい?ごめんね、勝手口のところに置いておいてくれればいいから!」
 彼女はそういって小走りに家の方向へ去った。その後ろ姿を見つめるリュミエール。
 胸の鼓動がおさまらない。
 …今のは、何だ?見間違い?未だ自分は疲れがとれていないのだろうか?
 一瞬だった、一瞬だけ指の間から見えた傷口。確かに大きな傷ではなかったようだが、彼女の言葉よりは深手であった。
 彼女の動作に不自然はない、その後の反応にも。何もことさらに傷を“隠そうと”していたわけではない。
 理屈より直感が頭を支配する。より強く打つ、鼓動。リュミエールは混乱した。
 足下に転がるハサミ。それをゆっくりと拾い上げる。陽の光に照らされ光る、刃。
 良く研がれたそれには…血がついていなかった。

「リュミエール〜!!」
 思わずびくりとして、声の方向を向く。二階の窓に、こちらに手を振るオリヴィエの姿が見える。
「おはよ〜〜〜!畑仕事のお手伝い!?」
「オリヴィエ……」
 リュミエールの声は小さく、オリヴィエには到底届かない。
「終わったんでしょ?ぼーっとしてないで戻ってきなよ!みんな起きてるよ〜」
「…え、ええ…」
 リュミエールはその時できる精一杯の笑みを返した。


 リュミエールが家に入ると、既に部屋はオスカーとオリヴィエ、ヨシュアの談笑に満ちている。
 ネリーはいなかった、すでに台所に入っているのだろう。
「ああ、戻ってきたきた。ごくろーさん☆」
「あれ、何だか顔色悪くないか、大丈夫か?」
「え、ええ」
 リュミエールはすでに上の空だ。
 リュミエールは森でのオスカーの言葉を思い出していた。疑心暗鬼。まだ自分はそこから逃れきれていないのか。…きっとそうなんだろう。あれは見間違いだったに違いない、抑えた手の下には少しくらい朱がにじんでいたかもしれない、ハサミの刃に血が偶然つかなかっただけということだって。もしかして、この惑星は自分達がまだ出会ったことのない生命体の住む星で……そう、深く切り傷を負っても血が出ない、そんな……。
「ん?オレの顔、なんかついてる?」
 ヨシュアがリュミエールのほうを見つめている。無意識に彼をまじまじと眺めてしまっていたらしかった。
「いえ!そんな。申し訳ありません、少しぼうっとして」
「おいおい、本当に大丈夫か?日射病の季節じゃないぜ」
「少し横になってたら?」
「大丈夫ですよ、何でもありません」
 そこへドアが開いて、手に朝食の皿を持ったネリーが入ってきた。すぐに視線は鋭く指先に飛ぶ。そこには白い絆創膏。
「はいはい、お待たせ!まだあるから、ちょっと待ってね」
「ああ、俺達も手伝おう、ネリー。畑仕事には間に合わなかったが、食器を運ぶくらいはできる」
「一宿一飯の恩義にはならないけどね」
 オスカーとオリヴィエがそう言って立ち上がる。
「ありがとう、みんな親切ね!さすがに5人分は一気に運べないから、お願いしたいわ」
 清々しい朝の光の満ちる部屋。楽しげな朝食の風景。そんな場にとけこむために“気のせい”と呪文のように心でくり返すリュミエールであった。

 

<つづく>


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