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04

  不測の事態にこそ、冷静な対処。それは基本であるし、自分はそういうことは得意なほうだとオリヴィエは自負している。が。いったいこの事態はどう対処すべきか。
 兵が立ち去ってすぐさま、今度は自分らを助けてくれた男の手に光るナイフ。いや、その事実よりも、目の前のこの若者の笑顔がオリヴィエを困惑させる。
 彼は、気軽く、親しい友人にでも尋ねるような口調で言った。
「もう一度聞くけど。あんたら、この森に何の理由があっているわけ?」
 彼の亜麻色の髪が差し込む光を浴びて柔らかくきらめく。ヨシュアはどこにでもいそうな普通の風貌だった。顔立ちや体格に目を引く特徴はなく、その佇まいは一見呑気な、人が良さそうなイメージでさえある。しかし、さっきまでの出来事を思うと、その風貌が逆に油断ならない。先ほどの彼の所行は、あまりにスマートで鮮やかだった。
 オリヴィエは時折そっとリュミエールの方向を伺う。彼はうつむいたままじっとしているだけだ。何か考え込んでいるようでもある。たぶん、自分と同じように困惑し判断つきかね、迷っているのだろう。
 またしばしの間があき、3人の間を微風がただすり抜ける。
「黙られちゃうと困っちゃうんだよねえー」
 やはりその沈黙を破ったのはまたもヨシュアであった。
「…ああ、これがあるから逆言いにくい?じゃ、しまおうか」
 別に必要なさそうだしね、と彼はそう言ってあっさりナイフを納め、近くの大きな岩の上に腰をおろした。
「これならいい?」
 にっこり微笑む。あまりにも無邪気な笑顔であったので、オリヴィエは面食らった。
 いったいどういうヤツなんだ。
 謎はいっそう深まるばかりであったが、とにかく、相手はこちらの反応を待っている。切り札を納めてまで。いつまでもだんまりを決め込むのはフェアではない気がした。
「あの、さ…えっと…何から言っていいのかってのが…」
「うっ、ああっ!!」 
 突然リュミエールが悲鳴に近いうめき声を上げ、頭を抱え込みうずくまった。
「…ああ…頭が…ひどい頭痛が…」
 ひどく苦しそうな声に、一番驚いたのはもちろんオリヴィエだ。
「え?え。あ、だ・大丈夫??ちょっと!」
「…今一瞬激痛が…うっ」
 思わぬ展開にヨシュアも一応心配そうな表情をしている。
「…平気かい?アンタのつれ、偏頭痛でも持ってんの?」
「いや初耳…っと、あの」
 そんな疑問に答えている余裕はない。
 オリヴィエはヨシュアにろくな返事をせず、リュミエールの横に同じくかがみ込み声をかけた。
「ちょっと、平気?どのくらい痛いの??」
「………。もう、おさまりました」
「えっ」
 オリヴィエのことなどいないかのように、リュミエールはすっくと立ち上がる。わけのわからぬまま、オリヴィエもリュミエールにならって立ち上がるしかなかった。
 ちょっと…いったい何だってのよ〜〜!!
 リュミエールは何事もなかったようにヨシュアに向いて口を開く。
「申し訳ありませんでした。実は…こんなことをお話するのも何ですが…」
 意を決したようなリュミエールの表情に、オリヴィエは動揺する。
 ……何、何話そうとしてんの、この人?まさか守護聖だってこと正直に話す気じゃあ。そんな話この状況で信じてもらえるワケないじゃない!
 当然そんなオリヴィエの心の声など知る由もないリュミエールは目を閉じ息を吸い、重々しく、しかししっかりとした口調で言い放った。
「私…もちろんこの者も、記憶が、無いのです」
「…はぁ?」
 ヨシュアが思わず上げた声、オリヴィエは自分が思わず出してしまった声だと一瞬思い、つい口に手をあてた。オリヴィエの脈拍は銃口を突きつけられた時よりも、ナイフを見たときよりも早い。しかしオリヴィエが口を挟むいとまを与えず、リュミエールは続けた。
「…なぜ、このような森にいるのか、もとよりここはいったいどこなのか。いいえ、それより!私達はいったい何者なのか。…まったく憶えがないのです。彼はマイク、私はポール。その名前と、ふたりは友人同士である、憶えているのはそれだけです。思い出そうとすると先ほどのように頭痛が。マイクにはかような症状は無いようですが、私は元来丈夫なたちではないらしい。どうやら、どこかで頭を打ったらしい…」
 そう言ってリュミエールは大げさに額を抑えたりしている。
「ああ、ホントだ。そこんとこにうっすら青あざがある」
 ヨシュアがのぞき込みうなずいている。
「じゃあ、あんたらはこの森が…てーか、この場所がどこかも知らないでいる、ってことかい?」
「ええ、逆にこちらが伺いたいくらいです」
 妙に両者落ち着き払ったそのやりとりを横に、オリヴィエだけがひとり混乱を極める。
 何、言ってんのこの男は。言うにことかいて記憶喪失〜〜〜〜〜〜??
 言い逃れるにしても、もっと現実味のある言い訳は他にいくらでもあるでしょうに!ポール?マイク??そんなこと信じるヤツがどこの世界に!
「…ふうん、そりゃ大変だ。それじゃ聞いても仕方ないな」
「えっ」
 アリなのーーーーー?!マジ〜〜〜〜〜??!!!
 驚きのあまり声と顔を上げた途端、こちらを見ていたヨシュアと視線がぴたりと合ってしまった。
 まずい。
「…えっ…っとぉ…、あの」
「何?」
 素直に問われて、オリヴィエの瞳はなおも泳ぐ。
「…こんなハナシ、信じてくれるの…?」
「嘘なの?」
「いや!嘘、じゃない、けどっ!!…フツーこういうのって信じられないかなって…特にこの状況で、さぁ」
「うーん、まあ、そうそこらに転がってる話じゃないね、確かに」
「でしょ??だから…」
「でも全くないとは言い切れない」
「……」
「ああ、まあね、一応理由はあるよ?アンタ達、明らかにこの土地の人間じゃない感じなのに、身を守るものさえ持ってない。…なにか目的のある人間はもーちょっと何かあるじゃん、フツー。あんな雑兵に目えつけられるくらいだ、スキだらけだしさぁ」
 非常に明解、かつ要所をおさえた観察眼。それが彼をやはりただ者ではないと思わせるからこそ、こんな言い訳が通ることが逆に不思議だ。
 罠、か?
 返答に窮するオリヴィエに代わり言葉を継ぐは、今やヨシュアよりもオリヴィエにとって判断つきかねる遠い存在のポールことリュミエールである。
「確かにあなたの言うとおり、私たちにこの場所における目的などひとつもありはしません。あるとするなら、元いた場所に帰りたい、それだけです!」
 リュミエールは真剣だ。それも当然、今のセリフは彼にとって芝居ではない。しかしこういった場面でなお、自身の主張をよどみなく言えるリュミエールという男に、オリヴィエはある意味尊敬の念を感じずにはいられなかった…多少の脱力はともなうが。
 そんなオリヴィエの内心はさておき、ヨシュアは続ける。
「…なら、オレとしては話が面白いほうを取るよ。記憶喪失、いいじゃん?そんなのそう出会えない」
 彼は笑った。オリヴィエはまだ笑う気にはなれない。
「じゃ、じゃあさ。なんで助けてくれたわけ?話聞く前から」
「…ああ、まあ…基本的にあいつら好きじゃないし。あ、これ内緒な。人間関係はうまくやりたいほうだから」
「ええ、承知しました」
「あと。あんた達のが金持ってそうだったし。あいつら薄給だからな〜」
「金?」
 腑に落ちぬふたりの声に、ヨシュアは大げさに肩をすくめてみせた。
「おいおい、助けてもらってソレはないよね?オレも別に慈善家じゃない、この場合、お礼はアリでしょ。頼むよもう」
「頼むよもう…って言われても」
 オリヴィエは当然ながら金など持っていない。リュミエールの顔を見ると、彼はここでもまた冷静に言った。
「わかりました」
「ちょっとリュ・・いやポール、お金なんて」
「大丈夫ですよマイク。少々の持ち合わせがあったはず」
 リュミエールは身をさぐり、聖地より用意してきた札を数枚取り出した。
「これでよろしいでしょうか?」
 リュミエールが提示した金額は、どうやらヨシュアを納得させるに十分な額に達していたらしい。ヨシュアは受け取り、嬉しそうに言った。
「話がわかるねー、ポールさん」
 彼は立ち上がり、いくばくかの札をポケットにねじこんだ。
「じゃ、これで」
「ちょっと待ってください!」
 去ろうとするヨシュアを、リュミエールが呼び止めた。
「な、なんだよ」
「あの、町はここから近いのでしょうか?」
「町?」
「要するに、私たちがこれから滞在できるようなホテルがある・・」
「ああ、そうか。記憶無くても、ここで途方に暮れてるわけにはいかないもんなぁ。町、つーか村だけど、そんなに遠くはないぜ。ただ宿屋は無い。そんな仕事がなりたつよーな場所じゃないんだ、なーんもない田舎だ」
「そうなんですか?」
「酒場の二階で、女連れ込むよーなそういうとこならあるけどね。そこでもいい?なら紹介するけど?」
「……」
「いい、いい!紹介して!」
 顔を曇らせるリュミエールの代わりに答えたのはオリヴィエだった。
「ポール!」
「アンタは黙ってて!明日をも知れないこの状況、どんなもんだって文句言えないでしょーが!」
「…誰のおかげでこんなことになったと…」
 もちろんリュミエールの声はヨシュアには聞こえない小さな呟きだ。そんな声などどこ吹く風とイニシアチブを奪還するオリヴィエ。
「泊まれる…いや屋根があるならこの際どんなとこでも!」
「食事も出るだろ、たぶん」
「なおさらオッケー!」
「…・急に元気だな。まあいいや、じゃあ宿代のほかに紹介料として…」
「えーまた金取るの?!」
「イヤならいいけど?…行くの行かないの?」
「行く…あ。」
 オスカー。彼が戻って来るまではここを動けない。
 リュミエールが沈痛な面もちで言う。
「実は私達にはもうひとり連れがいるのです」
「は?まだいんの?そいつもキオクソーシツ?」
「…ええ…この場所の状況を調べると言って、あなたと入れ違いに…」
「でも全然帰ってこないじゃん?…ああ、あいつらに捕まっちゃったんじゃないの、そいつ!」
「…!…」
 あまりにももっともだ、反論の余地はない。
 オリヴィエとリュミエールは顔を見合わせる。
「うっそ…マジ?」
「わかりませんが、しかし、こうまで戻らない。彼らは銃を持っていましたし…」
 銃を持った兵相手では、さすがのオスカーとて抵抗は得策ではないという判断をするかもしれない。
 ヨシュアの呑気な声がかぶる。
「銃声が聞こえなかっただけラッキーってことだな、ご愁傷様。じゃ、行こうか」
「行こうか、って」
「ここにいたってしょーがないだろ?」
「行けばどーにかなるっての?」
 いきり立つオリヴィエに、ヨシュアは軽くため息をついた。
「ここにいるよりはな。…落ち着けよ。あいつらなら今夜は確実にその酒場に来るから。そんな事があれば酔っぱらってぼろぼろ言うさ、そういうヤツらだ」
「でも、彼らに捕まったとも未だ判断は」
「そしたら探しに来ればいい。そんくらいの時間も持たねーやつ?そいつ」
「……」
「とにかく、オレにはあてどもなくアンタらとそいつ待ってるヒマはないんだ。どっちにする、オレはどっちでもいーぜ」
「…わかった、行くよ」
「オッケー」
 ヨシュアは微笑んで、くるり二人に背を向け歩き出そうとして、すぐまた振り返った。
「あ、紙とペンあるけど。書き置きとかしてみる?一応」
「あ、ああ、ありがとうございます、何から何まで…」
「これはただでいいよ」
 彼は笑って、それから身軽に川の岩を飛び、向こう岸にアッという間に渡ってしまった。
 やはり、この男は掴めない。掴めない男を100%信用するわけにはいかない…んだがしかし、この男に頼るしかない状況が何だか悔しくもあるオリヴィエだった。

 

<つづく>


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