蜘蛛の紋様
Art of Spider

PALMシリーズ第9話
作品番号30/2011年作品

ジャンル/クロニクル・過去編
ページ数/1042ページ
掲載誌/新書館ウイングス
制作開始/Dec.18.1983
一稿完成/Fev.1.1984
シナリオ第二稿着手/Dec.8.2005
二稿小説部分着手/July.7.2006
小説部分完成/Aug.28.2006
連載第一回原稿(漫画本文)完成/Dec.6.2006
シナリオ第二稿完成/Oct.19.2011
全編完成/Dec.9.2011


Highlights
全巻予告 Vol.1 Vol.2 Vol.3 Vol.4 Vol.5 Vol.6

●「ナッシング・ハート」や「胸の太鼓」と同じ系列に属する過去編の集大成
冒頭に小説形式で書かれるオーガス家の歴史に始まって、カーターの出生から、ジェームスとの出会いまでを描き、(外見上は)最も「普通の人間の人生」に近い、淡々としたカーターの過去編と、ジェームスの過去編「ナッシング・ハート」の続編を兼ねている。
これまで発表されてきた長いシリーズを経て、ラスト部分がついに最初の長編「あるはずのない海」の始まりにリンクしており、 (「お豆の半分」がPALM0話だったように、最終話「TASK」が無番号エピソードに属するとして)ある意味PALMの真の最終章とも言える作品。 /★★★★★

制作エピソード
第6話「オールスター・プロジェクト」の制作エピソードでも告白している通り、PALMは中盤から基本的に毎回の連載ごと(あるいは数回分ごと)シナリオを書いては作画しているのだが、初期に「構築されたストーリー」などのアオリを書いてもらっていたせいか、「最初から綿密に計算して話を構成し、各所に伏線を網羅した」、極端なところでは「はじめにシリーズぜんぶのシナリオが書いてあって、それを何十年もかけて絵にしている」(そんなバカな!!)物語として紹介いただくことが多い。

もちろんこれらは名誉な評価で、子供の頃から書いて来たライフワークであったり、おそらく標準以上に構想や設定ができていて伏線が多いことは事実なので、特に反論しないで放置してきたのだが、このまま傍観しているとウソをついていたことにもなりかねない気がしてきたので、この際もっと具体的に例をあげて告白しておこうと思う。

なぜここでかというと、一つは「蜘蛛の紋様」は「あるはずのない海」連載前にシナリオの第一稿が書かれていて、それが保存されていたり(実際に使用されたシナリオは連載時に書かれた第二稿)、物語が最終話近くまで進んでから一度過去に戻っている話のため、連載開始前に最も多く回想シーンが登場しているので具体例がたくさんあることがひとつ。
もうひとつは主に作者だけが味わえる創作過程での驚きを、難しいとは思うが、できることなら最後に少しでもみなさんとシェアしたかったからだ。

おそらく漫画家や小説家などがみんな体験していることで、読者の人にはたぶんなかなか想像がつかないと思われるその驚きとは、乱暴な言い方をすると「いいかげんに設定をして書き始めたのに、実際に作品が出来上がったら嘘のようにつじつま合った」という現象のことである。
信じようと信じまいと、作家は大体これに支えられて仕事をしている。

PALMは今までもこの種のオーガズムをたくさん体験出来る話(気付いているいないの差はあっても、作者同様読者も同様の快楽を味わったことを願う!)だったが、「蜘蛛の紋様」は過去編としては最大規模の年月が描かれるのに、未来がもうほとんど出尽くしていて、小手先でつじつまを合わせるのは無理な条件がそろっていたから、連載しながらシナリオを書き進める度、作者も知らなかったそのときの事実や理由が次々と浮かび上がり、まるで実際はそうではないのに「ストーリーをあらかじめ書き上げてからPALMを発表している」としか思えないような作品に仕上がってゆくのは格別な体験だった。
正直「自分は何かに助けられている」と感じるような、根拠のない自己陶酔的快楽もあったが、人に簡単に説明したり信じてもらえたりしそうにないという意味で、本心から気味悪くもあった。

それが何かはともかくとしても、PALMの醍醐味や書いたとき、読んだとき感じる高揚感がそのあたりから多く発されるのは間違いないので、前記の通り、読んでくれる人が逃しているかもしれない驚きと絶頂感を、一部の人とでもわかちあえることを期待して、誤解されたり伝わらなったりする危険は承知の上で、文末に具体的なファクトを書き出しておく。


ところでタイトルの「蜘蛛の紋様」だが、これは中学一年の美術の最初の授業で、恩師の古川先生がしてくださった「芸術の定義」に由来している。つまり芸術は人間が意図して作ったもので、蜘蛛の巣のような自然現象とは違う、という内容だった。

恩師-尊敬している人、ということでは、あのカート・ヴォネガット先生がこの作品の連載中、しかもオーガス家の悲劇の飛行機事故の場面を描いているときに亡くなった。
作者にとってはいろいろな意味で月日が大きく経過したこと、PALMや自分の人生がおわりに近付いたことを感じた作品である。

ちなみに作中に登場した、ロゼラが語っている詩の数々は、10代のとき趣味として書いていたものをすべて転用している。わたしが詩を書いたのはだいたい結婚直前の19歳くらいまでで、「ホチキスの木」という詩は、中学の文集に掲載されたもの。各詩の全文は、Poems のサイトに掲載した。

では、以下がファクトである。


「蜘蛛の紋様」シナリオ第一稿について/
完成は1984年2月1日作者23歳のとき、(「蜘蛛の紋様」完成時は51歳)、ジェームスの過去編「ナッシングハート」と一緒にコミックス収録されたアンディの過去編「胸の太鼓」を書き下ろしながら、カーターの過去編として書かれた。
内容はほとんど独白中心のプロットのようなもので、今見ると自分でも驚くくらい話が出来ていない。

シナリオを読んだ獸木の最初の担当者関口紘一氏は「これは未完成だし、今これ以上過去編を連載するよりは・・・」と、「あるはずのない海」連載にようやくゴーサインを出してくれた。(はっきりは覚えていないが、正直なところ、デビュー前からシナリオがあって関口さんから「待て」を出されていた「あるはずのない海」連載したさに、「蜘蛛の紋様」のシナリオはいいかげんに書いたという可能性も強い)

どのくらい未完成かというと、まず長さからして実際に完結した今の「蜘蛛の紋様」と全然違っていて、第一稿のシナリオは80ページ、実際に連載された第二稿は254ページ。単純に計算すると最初のシナリオが漫画化されていたらコミックス1,2巻、実際の「蜘蛛の紋様」は6巻という開きがある。
また第一稿はほぼカーターのエピソードのみで、ジェームスのその後についてはちょっとメモが添えられる程度だった。完成した「蜘蛛の紋様」は「ナッシングハート」から「あるはずのない海」までのエピソードの語られていない部分が、カーター、ジェームスのふたり分ほぼ全部描かれている。


●その他のファクト/

・ジェームスの幼なじみ(?)フィル・マッサリは「午前の光」で発想されたキャラクター。
従って「蜘蛛の紋様」のジェームスの幼児期のビーチハウスでのエピソードは連載時になってはじめて挿入されたもの。

・カーターの学生時代のエピソード(反戦運動、プレイボーイ生活)はほとんどすべて第二稿執筆時に発想された(第一稿当時、23歳の自分では思いつかないような内容も多い・・)
第一稿では、学生仲間のウォーレンはベトナムに行かず、カーターが勝手に彼がベトナム参戦を決意したと早合点して騒ぐという内容で、そのときの関口さんのアドバイスを守って、第二稿ではウォーレンは戦死している(関口さん以降は連載前にあらかじめシナリオを編集部に見せることはなくなり、担当さんたちからストーリーの内容について進言を受けることも一切なかったので、これは編集さんのアドバイスが話に生かされた、PALMでは非常にめずらしいケース)。
またカーターも参戦しようとした、という設定は、探偵免許取得に兵役(か警官などの)経験が必要と判明したシリーズ後半に設けられた。

・エリー崩壊の設定について/
エリー幹部殺害や、エリー崩壊の具体的な過程は今回の「蜘蛛の紋様」連載時にはじめてストーリーが作られた。

・シド・ブライアン以外のブライアン兄弟(ゾーイ、ルガー)、ジョージ・ブライアンとその息子のザックとボーの双子、コナー5兄弟などは第二稿で初めて生み出されたキャラクター。
つまり「あるはずのない海」で語られていた「ジェームスがエリーから脱出する際行った殺人」についての経緯、詳細(ゾーイが処刑されることを含む)のすべては「蜘蛛の紋様」連載時に考えられたもの。

・サロニーが幹部殺害を行ったことは、第二稿執筆時に思いついて挿入されたエピソード。(サロニー自体「星の歴史」ではじめて発想・デザインされたキャラで第一稿執筆時は存在していない)

・上と同じ理由から、ブライアン・ファミリーの双子の生き残りや、その父ジョージが、ジェームスに殺意を持ったためサロニーに殺されたエピソードなどはあとから付け足された

・レイランダーがジェームスの居場所を知った経緯/
上と同じくサロニーが「星の歴史」以前は存在しないキャラだったため、サロニーがレイランダーにジェームスの所在を教えたシーンは「蜘蛛の紋様」連載時に思いつき、付け加えられたもの。
(サロニーがスタン・マティックとすれ違ってマイケル・ネガットが生き延びたことを知っていたことは、「星の歴史」で発想し、書かれている)

・「ナッシング・ハート」でエリーがアーサー・ネガットに「若い衆のあやまちをとりなすため、油田を渡した」とき、その若い衆がシドとゾーイであることはまったく設定されていなかった(誰かは当時ストーリー上問題でなかった)

・ジェームスの傷について/ 
  腕の傷は番外編「お料理教室」(デビュー当時の作品)で気まぐれに描いたもので、この傷のついたエピソードはあとからのでっち上げ(背中と犬のかみ傷と散弾のあとは何で付けられるかは決まっていた)

グリフィン親子の存在は「愛でなく」の回想シーンではじめて発想された(それ以前はまったく考えられていなかったため登場しなかった)。
「愛でなく」の段階では、ロゼラがジェームスの初恋の相手になることは、設定上かなり無理があるためまだ決定していなかった。

・シドがジェームスを撃ってから殺されるまでの台詞/
PALM初〜中期の作品に登場するこのシーンの回想では、ストーリーの詳細は不明だった(決まっていなかった)ため、あとで融通が利くようセリフは抽象的な断片のみを使い、「蜘蛛の紋様」時に、それを埋める形でシナリオを再構成した。

・ジェームスがエリーの組織から脱走したシーンについて/
ジェームスが渋滞中の車から脱走するこのシーンは、「あるはずのない海」の冒頭と、26年後の作品「蜘蛛の紋様」の後半で二回描かれている。
ジェームスがシドの散弾銃で撃たれたあと車椅子の生活を送ったこと、それを利用して脱走したこと、またエリーがジェームスに渡した銃が空であったという設定や、ジェームスが前日にゾーイから弾丸を入手した経緯は「蜘蛛の紋様」連載時に発想し書き加えられた設定。
「あるはずのない海」でこのシーンが描かれた段階では、ジェームスが弾倉を開けてみる部分、マイアーがジェームスが走れることを知って驚くショットは描かれていない。
のちのストーリーの詳細を伏せておくためにカットしてあるようにも見えるが、実際は逃げる前後のストーリーが未定だった(PALM的には「作者もまだ知らなかった部分」とも言う)。

ちなみにこのシーンの「あるはずのない海」バージョンで初登場したマイアーは、「蜘蛛の紋様」ではかなり重要なキャラクターとなるが、「あるはずのない海」のこのシーンで登場した時は、チョイ役的ポジションで、詳しいキャラクター設定はなにもされていなかった。

・祖先の部分の加筆を決めた時期/
第一稿執筆時はPALMにカーターの祖先(の話)は存在しなかった。 作者がクロニクルとしてのPALMに祖先の話を入れるべきと考え始めたのは「星の歴史」以降。

・PALMがクロニクルになった時期
作者は「スタンダード・ディタイム」の習作版と、「あるはずのない海」のシナリオの持ち込みによって作家デビューが決定しているが、この段階ではPALMは探偵物で、クロニクル(当時は大河ものと呼んでいた)としてスタートしたのは、「ナッシング・ハート」が発表されてから。
作品のスケールが現在の規模へ拡大、定着したのは、転機となった「星の歴史」以降。それまでは過去編3作(「ナッシング・ハート」「胸の太鼓」「蜘蛛の紋様」)以外は時間の経過しない探偵物(「スタンダード ディタイム」のような)になる可能性もあった。

Apr.2012



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