Age30〜39



特にエピソードはないが、なんとなく貫録があって気に入っている写真。扉ページの写真と同じ旅行中に撮ったもの。

1994/photo by Task


1990
June.17/「青また青」完成
July.27/「あるはずのない海」アニメ用シナリオ完成
Aug.3/体質に異変?
●わたしは喫煙者だったのだが、30歳の誕生日から3日目のこの日に、突然たばこが吸えなくなった。もともと日に10本程度が最高で、しかも喫煙のたびにうがいをする必要があり、だんだん吸うのが苦になって、本数が減ってきてはいたのだが、他に悪い習慣も仕事上他人のそばで喫煙することもほとんどなかったので、やめる気はさらさらなかったから、(大したことではないけれども)これはちょっと驚きだった。

Oct./「あるはずのない海」アニメ用スケッチ全シーン分完成(クロッキーブック7冊分)
●確かこの年の夏だったと思うが、わたしはロサンゼルスとニューポート(カーターの故郷)に、ひとりで取材に行っている。これが2度目のロサンゼルス訪問だ。
この旅行と、旅行の前後からお隣に何年か住んでいたアメリカ人のケリー・Kと仲よくなり始めたことがきっかけで、わたしはそれまで夢物語だった英語圏への移住を現実のものとして考えるようになった。


1991
Mar.18/PALMシリーズ第6話「オールスター・プロジェクト」完成
Apr.1/環境団体のサポート開始
June.12/PALMシリーズ第7話「愛でなく」シナリオ着手
July.10/「星を残して」完成
Nov.8/PALMシリーズ第7話「愛でなく」本描き開始


1992
Oct.19/母再婚
●母の再婚はすばらしい出来事だった。新しい父は、ずいぶん若いときに奥さんを亡くして、ひとりで娘と息子を育てた苦労人で、毎日同じ時間に帰ってきて、日曜には家族をドライブに連れて行くような家庭的な人だ。夫というと家に居着かなくて、いるときは飲んだくれてるのしか知らない母やわたしには、それこそ神様のような人である。
わたしにとっての一番の驚きは、母が父と、ふたりにしかわからない冗談を言って、けらけら笑い転げたりすることである。わたしは本当の父に、母が笑いかけたのを見た覚えがないのだ。
ちょっと不思議な話をしよう。わたしの母の名は和子というが、彼女は生まれたとき、本当は双子だった。彼女の片割れは、1日くらい間をおいて、死んで生まれてきたのだ。もうひとりのほうの名は、昭子という。
「昭和」の文字を分けて、双子のそれぞれにつけたのだ。
母が恋に落ちたとき知っていたかどうか定かでないが、新しい父の名は「昭」という。

Dec.6/祖母死去
●母が結婚して間もなく、母方の祖母が急死した。風邪で具合を悪くして、様子をみるためにちょっと入院しようと入った病院で、突然吐血して亡くなったのだ。
祖母は友だちだった。母方の田舎は宮城県にあって、わたしは子供の頃、毎年夏をずっとそこで過ごした。祖母はみかけは普通のおばあさんなのだが、中身は非常に進歩的な現代人で、死ぬまでなにかを学び続け、過去の人になることがなかった。
母には9人も兄弟がいて、その3分の1は宮城に住んでいるのだが、みなおっくうがって、そうそう東京には遊びに来ない。そんな中で祖母だけが、ピクニック気分で身軽に遊びに来て、ちょくちょくうちに滞在していた。祖母と話したり街を歩いたりするのは、同世代の友だちとそうするのとなんら変りはなかった。
今までわたしの周りで亡くなった人の中で、一番親しかったのはたぶん祖母だ。しかしおかしなことに、わたしは祖母の死後、ただの一度も泣いたことはない。祖母が死んだことを考えかけると、思考が別の方向へ逃げてしまうのだ。わたしの中では、祖母はまだ死んでいない人間なのかも知れない。


1993
Feb.28/PALM連載10周年
Sept.27/自動車免許取得
●このころから、移住計画を行動に移し、その第一弾がこの免許取得だった。どこに住むにしても、車が運転できなければ生きていけない。しかしわたしは元々何をするにしてもそんなに器用なほうではないので、これはなかなか無謀な挑戦だった。仕事の合間の教習所通いではあったが、全部で1カ月半くらいはかかったろうか?今でも運転はあまり好きでない。


1994
Feb.13/PALM誕生20周年
Apr.7/長男タスク、中学入学
●タスクの中学時代は、ちょっとした嵐の時代だった。いわゆる反抗期の到来である。喧嘩や喫煙などで、1年の家庭訪問前から、親が学校に呼びだされたり、大きな男の先生が3人くらいでうちに話しにやってきたりしていた。まあ締め切りどころの騒ぎではない。
彼は4月の生まれなので、普通中2くらいから始まる反抗期が中1で始まって、3年には落ち着いてきた。しかしただの一度も、無口にはならなかった。彼は無類のお話し好きなのだ。
またこのころから、彼は音楽に対する感心が高まってきて、のちにラップを歌ったりギターを習ったりするようになる。

June./英語学校入学
●移住計画の第2弾として、タスクと共に英語学校に入学。移住直前まで、約3年ほど通う。こちらは運転練習に比べると気楽で、友だちもたくさんできた。
お気づきのように、わたしの人生は30歳を過ぎてから、ややまともというか、平穏になってきた。普通最も楽しいとされる10代が暗黒、20代が波乱だったから、順番が逆行しているのかも知れない。というか、これ以上波乱が続いたらぐれてしまったろう(ぐれたらどんなふうになるのかは不明ですが)。

July.14/「ホワイト・ガーデン」完成


親子ふたりだけで行動することが多かったので、非常にめずらしいタスク(13歳)と写っている写真。
- Aug.1994 Age 34


1995
Jan.23/「THE WORLD/ルビー・ブラック」シナリオメモ完成

Sept./PALM連載100回記念


1996
Mar.28/移住計画下見のため、初めてオーストラリアへ
●免許と英語の準備はしたものの、移住先の決定はビザや、タスクの入学できる学校や、飼っている猫の検疫問題などで難をきわめた。結局消去法で、まず高校の学生ビザの取れなかったアメリカを除外。知り合いが多くて、気候や環境のよいオーストラリアと、検疫の厳しくないカナダが最終的に候補に残った。
行き先がオーストラリアに決定したのは移住数カ月前だった。

Dec./「PALMブック」発行


1997
May.14/オーストラリアに移住
●移住1年前から移住後数カ月は、大げさでなくわたしの今までの人生で最も多忙な時だった。誰もがそう簡単に国外転居などしないわけがわかる。オーストラリアに移り住んでからの暮らしは、「BIGCAT NEWS」に書かれた通りだ。
予想外だったうれしい収穫は、なぜか日本にいるときより、日本に住んでいる日本人の友だちが増えたことだ。これはコンピュータでメール交信を始めたことと関係がある。

May.17/タスク英語学校入学
June.7/住居決定・BIGCAT Studio発足
●外国から日本の仕事をするためや、日本の情報を得るため、あるいは日本に行ったとき原稿製作を手伝ってもらうアシスタントさんの登録のために、BIGCAT Studioという仮想スタジオを作る。
「仮想」の名の通りスタジオには実体がなく、ネット通信を使い、ほとんど知人の好意で成り立っている。
このホームページ開設も、スタジオ・メンバーの中島さんと、旦那さんの尾崎さんのご厚意とお力で実現したものだ。

Nov.19/「THE WORLD/ルビー・ブラック」シナリオ完成


1998
Jan.28/タスク高校入学
Feb.28,1998/ホームページ「BIGCAT Studio」公開
May.18/THE WORLD「ルビー・ブラック」下絵着手
June.6/「ルビー・ブラック」下絵(前後編とも)完成
Dec/「ルビー・ブラック」徳間書店Charaで連載開始

1999
Jan.28/「ルビー・ブラック」全編完成
June.27/ロサンゼルス取材
Oct.18/「THE WORLD」徳間書店でシリーズ化決定
●「THE WORLD」のパイロット版「ルビー・ブラック」の連載後、徳間書店でのシリーズ化が正式決定。PALM後半準備をかねて新書館での休載中に連載することになる。

Update/May.2019


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