Age0〜9



母は器用な人で、子供の服をほとんど手作りしていた。写真の服は「お星様の服」と呼んでいたお気に入りで、既製の黒いカーディガンに、母が色々な色のボンボンを縫い付けてくれたもの。
のちにPALM「ナッシング・ハート」で、イライ・パデュラのコスチュームに使用。
- 1962~3 Age 2~3



1960
Aug.1./東京新宿区の病院で生まれる。生家は東京豊島区大塚
●わたしが生まれて最初に与えられた名前は「たまき」という。これは最初のペンネームとしても、デビューから西暦2000年までの約20年に渡って使われた名前だ。
さて、わたしは戸籍上は長女なのだが、事実上は6人兄弟の末っ子である。
わたしの父は、死ぬまでに4回結婚し、わたしの母は彼の3番目の妻だった。
わたしが生まれたとき、家には父の最初の妻の娘である姉がふたり、2番目の妻の息子である兄がふたり住んでいた(2番目の妻の娘、美しく優しい大好きなすぐ上の姉は、お母さんと住んでいて、時々遊びに来た)。
わたしが小学校に上がるまでに、上のふたりの姉は結婚などで家を出た。
最も仲が良かったのはすぐ上(といっても16歳離れている)の兄で、幼年期のわたしは彼と結婚する予定でいたらしい。彼は今妻子と共に、わたしが日本で最後に住んでいたアパートに住んでいる。

●生涯で最初の親友は、となりに住んでいた「とおるくん」だと思う。
ソフトな感じの男の子(今写真を見ると、日本人離れした顔のずいぶんかわいい子だ)でよく家に行き来し、交際(?)は彼が小学校前(だったか)に引っ越してしまうまで続いた
。 とおるくんはソフトだったが、小学校中学年くらいまでのわたしは男の子と探検ごっこや虫取りをするのが大好きなおてんばで、小学校入学時に担任になったきれいな女の先生に、やさしく「やめましょうね。」と言われるまで、自分のことを「ぼく」と呼んでいた。


1964
●小学校前の2年間、「すみれ幼稚園」という小さな幼稚園に通った(だからたぶんこのころ入学)。幼稚園で出会った「マリ子ちゃん」は女の子で最初の親友。彼女との友情は別々の小学校に入学することになる卒園時まで続いた。
わたしはお絵描きが好きで、幼稚園ではいわゆる「絵がうまい」子の部類だった。「ゾウさんを描こう」という課題(?)が出たときに、頼まれてクラス中の子の絵を代筆してやったのを覚えている(2、3人くらいならよく代筆してあげていたと思うのだが、ゾウさんは幼稚園児にはむずかしかったらしく、その時はサイン会のように行列ができた)。しかしもちろんご存知のように、絵がわたしの天分であったためしはない。

●小学校にあがる少し前、近所の「栗本さん」という女の子と友だちになり、ふたりで「くりちゃんたまちゃん」という漫画を描き始める。これが漫画の描き始めだろう。
ふたりで、といっても二人で合作ではなく、同じものを別々に描くのだが、違いは自分を主役にする(くりちゃんが栗本さん、たまちゃんがわたし)点だけ。
1話画用紙裏表描いて3〜4枚程度の他愛ないものだが、たしか30数話まで描いた覚えがある。

●幼稚園はわたしの卒園前に火事で大半が焼け、卒園後まもなく廃園となった。


1966
小学校入学。1、2年生のとき、S井K子(のち結婚して改名)と同じクラスになる。
彼女は子供なのにきりっとした、とてもきれいな評判の秀才で、入学当初から彼女にあこがれていたわたしは、ふたたび同クラスになった4年生のとき、積極的にアプローチして友だちになる。
彼女は「金銀熊鮫」の「愛しのくみさん」などでおなじみのあの人で、わたしに新書館への持ち込みをすすめ(彼女は短大卒業後、「書泉(だっけ?)」という大きな本屋さんに勤めていて、わたしよりずっと雑誌などに詳しかった)、デビューの切っ掛けを作ってくれた。

●小学1、2年の頃、一時お話(「どうわ」と言っていた)を書くのに凝り、あるとき先生がこれを授業前にみんなの前で読んでくれたことから、クラスで童話書きがブームになった。
授業の前に童話発表の時間が出来、先生が毎日みんなのお話をひとつかふたつずつ読んでくれた。

●このころ、「くりちゃんたまちゃん」を卒業して、別のわけのわからない漫画(または、のようなもの)を描き始める。理想境(島かなにか)に共和国を作って住んでいる楽しい仲間かなにかの話で、その共和国を「VTO」と呼んだ。
のちにPALM「愛でなく」でこの「VTO」を環境団体名に使用。当時の担当者は何の略か悩んだというから、気の毒な話だ。(小学1年生の造語だから意味なんかないのよ)


1969
●小学校3年生のとき、生涯で最も多くの時を一緒にすごすことになる親友の松本真理(仮名)に会う。
彼女とは縁あって、この時から中学卒業時まで(中学2年を除いて)ずっと同じクラスだった。わたしは彼女を、本名と違う名前で「マリ」と呼んでいるが、この「マリ」は、幼稚園時代の親友「まり子ちゃん」のマリである。
わたしは小学校3〜4年のころ、クラス全員に勝手に違う名前をつけるという遊びをやっていた。早熟なクミさんは拒否したが、他の人はわたしのつけた名前を結構気に入ってくれて、みんなそれで呼びあった。そんなわけで、当時の友だちも、マリを今でもマリと呼ぶ。

●小学校3年生のどこかで、車にぶつかって6メートル飛ばされる交通事故に遭うが、幸いほぼ無傷ですむ。

●小学校3、4年生のころ、写真に興味を持ち始め、このころためたお小遣いで、初めて自分のカメラを買い、写真集まがいのものを作ってみたりしはじめる。小学校のあいだは、作曲遊びにも凝っていて、楽譜を買って、オルガンを使い、自分だけにわかる譜面を書き付けていた。

文/Feb.1998

最も歳の近い兄(16歳差)、
信彬(のぶあきら)と、
生家の庭で。
 - 1963〜4 Age 3~4?