リレー小説『踊るサクリア2』33 by 岸田

「…セイラン先生。」
 静まった美術室に、まるで神父のごとき穏やかな声が通る。よくわからない沈黙を破ったのはリュミエールだった。しかし彼もまたそれだけ言って黙る。
 平和でなく、静かである。
 そんな時間を信用してはならない、と言ったのは誰だったか。
 美術室はまさにその“信用ならない”空気に満ちあふれていた。
 リュミエールはどうする気なんだ?なぜか緊張するオスカーである。こんなことなら、自分がさっさと机でもぶっ倒して暴れておくべきだった。自分が気が楽というだけではなく、皆のため、ひいては学校のため。だが物事はタイミング、生徒会長としての判断を誤った責任は自分にある…今彼にできることは静観することしかなかった。

「どうしたんだい、リュミエールくん」 
 セイランは言った。
「まあね、言うべき言葉がみつからない、って気持ちはわからないでも…」
「いえ」
 リュミエールはセイランの言葉を遮って言った。
「自己紹介もすんだことですし…それで、授業はいつ始めていただけるのでしょうか?」
 セイランはひどく驚いた顔をして、その後わざとらしく肩をすくめて見せた。
「おやおや、まだそんなくだらない議論を蒸し返すつもりかい?」
「私たち学生にとって第一義とすべき重要な問題です」
 リュミエールの、まるでクリスマスミサの神父のごとき穏やかな声が、逆に室内の緊張を一段と高めた。
 セイランはため息をつき、言った。
「授業…というのはすなわち、『業』、何かしらの秀でた技を授けるという意味だろう?」
「ええ。そして先生は美術、芸術についての授業をするためにここにいるのだと私たちは考えているのですが」
「そう思うのも無理はないね。だから最初に言ったわけだけど」
「…教えたいことはない、と」
「ああ、何一つね」
 そう言いながらセイランは手近にあった椅子に大げさなアクションで座った。
「僕にとって芸術は、ごく自然な生命の営みと同じだ。君は誰かに、自分がどうやって息をしてどうやって心臓を動かしているかなんてことをわざわざ伝授したいと思うかい?無意味だね…まったくナンセンス。おかしな話さ」
 思わず納得しそうになる傍観者一同。しかしリュミエールは食い下がった。
「先生がどういった理由でこの学校に美術の教育実習にいらしたか、その経緯に興味はありません。ですが、どんな理由であれ引き受けた以上は、授業を執り行う責任というものがあるのではないですか」
「はは、そうだろうね!」
 セイランは一笑に付した。
「でもその責任を果たすか果たさないかは、僕の自由だ。そしてそんな僕をどう思うかは最終的に僕を採用した学園長が判断することさ。不満なら彼に言うべきだよ」
「ではそうします」
 お?これで終わるのか?…オスカー以下教室の一同は、腰をおろしかけるリュミエールのほうをいっせいに見る。
「あ…ただひとつだけ」
 なに?やっぱまだなんかあるのかーーー?
 …もしかしてココが机を倒すタイミングなのか?オスカーがそんなことを思っている間に、セイランは微笑んで答えた。
「なんなりと」
「そのカーテン」
「ああ、これ?」
 セイランは満足げにカーテンを見る。
「おもいのほか良い出来だったね。これで少しはこの美術室も芸術的環境になったろう?」
 リュミエールはにっこりと笑って言った。
「………先生が、『落書き』なさったそのカーテンは、当校の大切な備品です。当学園生徒会規則18条により、備品に『落書き』その他損壊行為を行った者は生徒会に反省文の提出と充当する弁償金額の支払いを求められます。教師であろうと『落書き』すれば同じです。その規則は守っていただかなくては。いらしたばかりで申し訳ありませんが『落書き』は『落書き』ですので、よろしくご了承ください。以上です。すいません、気分がすぐれないので保健室に行ってもいいでしょうか?」
「…ああ、かまわないよ。お大事に」
 リュミエールは深々と頭を下げてそそくさと持ち物をまとめ、しっかりした足取りで美術室をあとにした。  セイランはやけに嬉しげにその後ろ姿を見送ってから言った。
「…で、いくらを誰に払えばいいのかな?誰かわかる人は」
 生徒たちがいっせいにオスカーを振り返る。
 え、俺?そんなもん俺が知るか!…と叫びたいオスカーだったが、それは言えない。リュミエールがああ言うなら、校則はきっとあるのだ。生徒会長が知らなくても。  皆のすがるような視線に、オスカーはしぶしぶ立ち上がり言った。
「おってご連絡します」
「あ、そう。じゃ、後は自習」
 セイランも美術室を出ていこうと歩みだし、思い出したようにオスカーに振り返った。
「ちなみに君は?」
「えっ…いやあの…」
 急に言われて思わず口ごもる。
「名乗るほどのもんじゃ…」
「ふうん。じゃ、あとよろしく」
 ぱたん、と扉が閉まる。その音と自分の存在のどちらが軽いか、西日射す美術室で哲学的思索にとらわれるオスカーであった。

《続く》


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